疾走する Future Shocker
“So What’s (だから、何だ)?” 男は、藪から棒に言った。誰だって、黙ってはいられない。金輪際(コンリンザイ)、こんな出鱈目(デタラメ)に付き合わされるのは、御免だ。男は、突き上げを食らうたびに、このマスコミ、否、世間の、常識の莫迦(バカ)さ加減に反駁(ハンバク)した。世の中の権威という権威、良識と...
“神々”の系譜 その3
1964年、電子音楽の歴史に、画期的な変革をもたらす最終的な楽器、シンセサイザーsynthesizerの元祖、モーグ・シンセサイザー moog synthesizer(アナログ・シンセサイザーanalog synthesizer)が出現した。1950年代、テルミンのモジュールmodule製作で聞こえた電子楽器の発明・製作者、ロバート・モーグ(Robert Moog 1...
虚ろなる涙 その3
2020.06.13
人
淋しいおさかな。オモイデはシトシトにじむ。
かつて、彼は、批判的に社会を見る眼識を持ちながらも、騒然混沌の中に浮遊する疎外と断絶の時代にあって、人には親切で温かい心を持ち、又、労(イタワ)り、思いやりのある自分は表に出さず、慎み深く、あくまでも、謙虚な姿勢で創作に励んだ、一風変わった不思議な演...
虚ろなる涙 その2
2020.06.13
人
禁断の未来。
長田弘(1939.11.10.-2015.5.3.)は自然の景色に溶け込むように生きた詩人であり、透徹した眼差しを持った批評家であった。彼は、ウェルズ(Herbert George Wells 1866.9.21.-1946.8.13.)を文学の発明家といった。言い得て妙である。ウェルズは、素人科学者でありながら、筋金入りの文明批評家であって...
虚ろなる涙 その1
2020.06.07
人
鈴木清順、偶(タマ)さかの死。
死は、もはや、屍(シ)であって、死ではなく、それを敢えて、詞とするのは、生の陋習(老醜)というものである。
鈴木清順(1923.5.24.-2017.2.13.)は、日本の文化は侘び・寂びではない、絢爛豪華だ、と言い放つ。鬱陶(ウットウ)しいものを嫌い、開放的で、人間性の自由を謳...
永訣の記憶。
Rからの手紙 1975年5月。
桐澤さん、どうしていますか?パリは今日も快晴です。私はいつものように、街をほっつき歩いてばかりです。ノートル・ダム寺院の斜め前のサン・ミシェル橋からリュクサン・ブール公園へと続くサン・ミシェル大通り界隈が、私の出没する、お気に入りのお散歩コースなのであります。ご存じの...
手塚治虫 本末天道虫 その2 我と共に来たり、我と共に滅ぶべし
1947年、春、放課後の教室の窓際で、男は、心ここに在らず、といった有り様で、桜の花の散る様をニンマリと眺めている。本当は、笑いが止まらないのである。1月に発売になったデビュー長編「新宝島」が好評で、重版増刷が決まったのだ(これは、最終的に、40万部の大ヒットとなる)。学生にして職業漫画家。夢は妄想とな...
手塚治虫 本末天道虫 その1 我と共に来たり、我と共に滅ぶべし
1946年、春、桜の花の舞散る、阪大予科に隣接するYMCAホールの小部屋から、モーツァルトのトルコ行進曲のピアノの音が軽やかに流れていた。そこでピアノを弾いているのは、日本人の小柄なメガネをかけた男子学生であり、すぐ横には大柄の黒人のソルジャーが腰かけて、楽しげに聴いているのだった。ピアノの演奏が終わる...
三島、自滅 病葉(ワクラバ)の回廊
現身(ウツソミ)はあらはさずとも、せめてみ霊(タマ)の耳をすまして、お前の父親の目に伝はる、おん涙の余瀝(ヨレキ)の忍び音(ネ)をきくがよい
(三島由紀夫「朱雀家の滅亡」)
往年の老優、中村伸郎(1908.9.14.-1991.7.5.)は、この特異な才能の持ち主の陳腐な最期について比較的冷静に、淡々と述懐して...
“神々”の系譜 その2
1960年代のmusic sceneは、pop musicとRock and Rollの流行と電気楽器の浸透、そして、jazz liveの退潮とが、同時並行的に進行したことが一つの特徴として挙げられる。殊に、jazz退潮の大きな理由には、underground sceneでのR&B、blues rockの比較的広範囲な進展と、公民権運動の結果、gospelやfolkへ黒人の関心が分散...