長田弘(1939.11.10.-2015.5.3.)は自然の景色に溶け込むように生きた詩人であり、透徹した眼差しを持った批評家であった。彼は、ウェルズ(Herbert George Wells 1866.9.21.-1946.8.13.)を文学の発明家といった。言い得て妙である。ウェルズは、素人科学者でありながら、筋金入りの文明批評家であって、稀代の空想創作作家だったので、その存在はそれだけで燦然(サンゼン)と輝いていた。彼の作り上げた文学世界は、確かに、それまで続いてきた文学の流れとは相容れない、訳の分からない、科学的世界、か、どうかも分からない、「タイムマシン」然り、「透明人間」然り、「宇宙戦争」然り、「地底世界」然り、の荒唐無稽(コウトウムケイ)の物語であり、時流に乗れない人々にとっては縁も所縁(ユカリ)もない、変テコリンな話と言う他、言いようがないものである。まして、文明論に至っては、宗教的ドグマや小市民道徳の功利主義的幸福論に浸りきって日常を送っている人々が大半を占める社会に、人類の“種(シュ)”としての責任、などと切り出すのは、凡そ馬鹿げたことであった、と言わざるを得ない。ウェルズは、芯からの、真剣なる夢想家であり、未来を予知する、滑稽(コッケイ)なる哲学的警世家だったのである。
長田弘(1939.11.10.-2015.5.3.)は自然の景色に溶け込むように生きた詩人であり、透徹した眼差しを持った批評家であった。彼は、ウェルズ(Herbert George Wells 1866.9.21.-1946.8.13.)を文学の発明家といった。言い得て妙である。ウェルズは、素人科学者でありながら、筋金入りの文明批評家であって、稀代の空想創作作家だったので、その存在はそれだけで燦然(サンゼン)と輝いていた。彼の作り上げた文学世界は、確かに、それまで続いてきた文学の流れとは相容れない、訳の分からない、科学的世界、か、どうかも分からない、「タイムマシン」然り、「透明人間」然り、「宇宙戦争」然り、「地底世界」然り、の荒唐無稽(コウトウムケイ)の物語であり、時流に乗れない人々にとっては縁も所縁(ユカリ)もない、変テコリンな話と言う他、言いようがないものである。まして、文明論に至っては、宗教的ドグマや小市民道徳の功利主義的幸福論に浸りきって日常を送っている人々が大半を占める社会に、人類の“種(シュ)”としての責任、などと切り出すのは、凡そ馬鹿げたことであった、と言わざるを得ない。ウェルズは、芯からの、真剣なる夢想家であり、未来を予知する、滑稽(コッケイ)なる哲学的警世家だったのである。
長田は、ウェルズは人類の未来に絶望していた、という。それはそうかもしれない。人類が、戦争や、宗教で、堕落し、自滅の道を進んでいた20世紀、歪(ユガ)んだ革命思想が持て囃(ハヤ)されて、愛と自由と平和は、暗黒の断崖絶壁へと追いやられていた。ウェルズは、自己破滅を回避させるため、「解放された世界」を書いた。それまでの、悪夢の未来を描き出すことは封印し、反省と再生のシナリオを提示した。原子爆弾の威力にも言及した。彼の言ったとおり、戦争は、核爆弾の使用によって終わり、文明論で示した通り、国際連合も誕生した。戦後の世界は、ウェルズの思い描いた世界となった。
しかし、心は、救いようがない。例え、器(ウツワ)が整っても。人類の心は疼(ウズ)く。ウェルズは、偉大な人でも、所謂(イワユル)、文豪などでもなかった。寧(ムシ)ろ、優れた失敗した作家だったというべきだ。20世紀という失敗した時代の船首像に相応しく生きた人だった。長田の評は、適切で、簡潔で、温かい。戦争の終わった次の年の夏、ちょっと昼寝をするよ、と言って、ウェルズは帰らぬ人となる。自由な魂が、また一つ、消えて、風の縁(ヨスガ)に便りする。樹々に寄り添い、風は、様々な仕掛けを拵(コシラ)え、誂(アツラ)えて、その死(詩)を待っていた。長田は、世界の、謎懸けを意図も容易(タヤス)く、解いてみせる。長田は、福島に生まれた。彼の感性は、福島の盆地の風景に育(ハグク)まれて生まれた。彼は、偶然の景色の中に自らを投射する創作者だった。つまり、命の偶(タマ)さかを謳(ウタ)った詩人だったのだ。