永訣の記憶。


Rからの手紙 1975年5月。

桐澤さん、どうしていますか?パリは今日も快晴です。私はいつものように、街をほっつき歩いてばかりです。ノートル・ダム寺院の斜め前のサン・ミシェル橋からリュクサン・ブール公園へと続くサン・ミシェル大通り界隈が、私の出没する、お気に入りのお散歩コースなのであります。ご存じの通り、この辺りは言わずと知れた学生番外地、カルチエ・ラタンと申すところでありまして、欧米の一般学生のみならず、数少なき日本人や中国人留学生にとっても、たまり場となっておるのでございますヨ。ここらをぶらついていれば、世界中の最新のアンダーグラウンドの情報までが、その日のうちに手に入り、何か欲しいものがあれば、探す間もなく、どこからともなく現れる、という、魔法のような異空間が、ここカルチエ・ラタンなのであります。

この辺りは、昼夜を問わず、ひっきりなしに誰彼となく、歩き回っているといった具合で、特に、土曜の夜は、大通りに面した両側の歩道もそこにつながる路地も学生や若者に限らず、とにかく大勢でいっぱいになり、ギターを弾く人、歌を歌う人、ドラムを打つ人、など音楽に興じる人たちから、小さな踏み台に上がり、演説を始める初老の人まで種々雑多、千差万別の人々でごった返すわけです。マルクス主義者や新左翼の学生、青年労働者たちがそれぞれの機関誌を売り込んでくるのであります。私がこの前、遭遇した方は、フランス人には珍しく、フランスの太平洋での核実験を止めさせる運動をしている方でした。とにかく、パリで、こんな熱気に煽られているのは、ここだけでしょう。

でも、こんな夢のようなお話は、今は、もう、本当に、昔のことになってしまいました。近頃では、これまで断然、自由だった、この界隈にも、警察の車が出没するようになり、何とも、やりきれない空気が漂ってきているのです。聞くところによると、地下鉄だけでなく、ベル・ヴィルの移民労働者の暮らす一帯では、もう、警察の不審者の取り締まりが始まっているということで、落ち着いてはいられません。一つには、去年の夏、移民労働者の入国制限が決まってから、外国人に対する扱いが日ごとに厳しくなってきていることがあります。この分では、留学生も何らかの制約を課されることになるのは免れないと思います。この二年間、ホントに充実していたのに、返すがえすも、残念でたまりません。やりきれない。どうしたらいいか、まだ、判りませんが、何もしないわけにはいかないでしょう。ちょっと、混乱しています。何か、アドヴァイスがあればお願いします。(頼む!)それでは、また。

Rは、1978年10月、自殺した。
2020年05月26日
Posted by kirisawa
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