微睡日記抄 その6
万物流転、生死、皆、自然なるべし。
「これからの地球は、人口過剰が最も大きな問題となる。放っておけば、人間が犠牲を強いられる辛い、悲劇的な時代が来ます。戦争を起こさず、世界規模の人口過剰を回避する、これが科学技術の重要な目的だと思います。」手塚治虫(1928.11.3.-1989.2.9.)先生は、まだ、科学技術...
微睡日記抄 その5
我と共に来たり、我と共に学ぶべし。
手塚治虫(1928.11.3.-1989.2.9.)先生は筋目正しい、お金持ちのお坊ちゃんとして、何不自由なく、お育ちになった。そこまでは、環境・条件を同じく育った者も大勢いるに違いない。それでは、治虫氏と他の人たちとは、どこが決定的に違っていたのか?それは、実は、治虫氏と心情...
手塚治虫 本末天道虫 その2 我と共に来たり、我と共に滅ぶべし
1947年、春、放課後の教室の窓際で、男は、心ここに在らず、といった有り様で、桜の花の散る様をニンマリと眺めている。本当は、笑いが止まらないのである。1月に発売になったデビュー長編「新宝島」が好評で、重版増刷が決まったのだ(これは、最終的に、40万部の大ヒットとなる)。学生にして職業漫画家。夢は妄想とな...
手塚治虫 本末天道虫 その1 我と共に来たり、我と共に滅ぶべし
1946年、春、桜の花の舞散る、阪大予科に隣接するYMCAホールの小部屋から、モーツァルトのトルコ行進曲のピアノの音が軽やかに流れていた。そこでピアノを弾いているのは、日本人の小柄なメガネをかけた男子学生であり、すぐ横には大柄の黒人のソルジャーが腰かけて、楽しげに聴いているのだった。ピアノの演奏が終わる...