HOME > 不思議の国の高度理系人材の不足 1 最近の投稿 不思議の国の高度理系人材の不足 2 不思議の国の高度理系人材の不足 1 ショートコラムの憂鬱 2022 part 2 知らず語りのレトリック。 幸運の輪 [wheel of fortune];煉獄への誘い その11 アーカイブ 月を選択 2022年12月 (1件) 2022年11月 (3件) 2022年10月 (3件) 2022年09月 (12件) 2022年08月 (4件) 2022年07月 (3件) 2022年06月 (10件) 2022年05月 (4件) 2022年04月 (2件) 2022年03月 (2件) 2021年12月 (7件) 2021年11月 (7件) 2021年10月 (9件) 2021年09月 (3件) 2021年08月 (10件) 2021年07月 (5件) 2020年11月 (10件) 2020年10月 (6件) 2020年09月 (8件) 2020年08月 (11件) 2020年07月 (12件) 2020年06月 (15件) 2020年05月 (11件) 2020年04月 (3件) 2020年03月 (11件) 2020年01月 (3件) 2019年12月 (3件) 2019年11月 (9件) 2019年10月 (5件) 2019年09月 (5件) 2019年08月 (5件) 2019年07月 (7件) 2019年06月 (6件) 2019年04月 (1件) 2019年03月 (5件) 2018年12月 (4件) 2018年11月 (1件) 2018年08月 (2件) 2018年05月 (2件) 2017年11月 (1件) 2017年08月 (1件) 2017年06月 (2件) 2017年05月 (1件) 2017年04月 (2件) 2017年03月 (3件) カテゴリー カテゴリーを選択 コンピューター AI トピックス ドイツ ネコ 世界 人 占い 哲学 地球 宗教 工学 心理学 手塚治虫 文学 歴史 環境 生活 生理学 真理 社会 神聖ローマ帝国 科学 経済 自我と人格 言葉 言語 近代ドイツ 運命 音楽 不思議の国の高度理系人材の不足 1 不思議の国の高度理系人材の不足 1 現在の日本の社会にはディジタルの波が押し寄せている。つまり,高度理系人材なる労働者の不足が国際的な経済の遅滞を招いたとの反省から可及的速やかにその解消を図る目的で今,又,国は懲りもせず,主に若者を対象にそのスキルアップを,国を挙げて行おうとしている。しかしながら,国が主導した若者を対象にした労働政策は度々行われてきており,その度に社会に無用の混乱と摩擦を引き起こしてきたことは記憶に新しい。契約社員・派遣社員の非正規労働に踏み切った時も,それは労働・雇用の流動化を招いただけで,終身雇用制度は廃止されず,結局,残業労働の拡張という,明らかに労働条件の悪化に繋がったに過ぎない。 国は,統計資料を駆使して,これまでも労働市場の再編成を繰り返してきており,最近でもダイバーシティの雇用積極化とか男性の育休とか,あるいは,到底,実現の見込みのない同一労働同一賃金制や女性の経営者の育成を企業に義務化することなどを示し,労働生産性の向上を名目とする,様々な施策を提示してきたが,一向に改善に結びついていない。こうした傾向に対し,労働組合も又,イノベーションの進展やディジタル化の時代に適応できず,電脳化によるパラダイムの転換に言及することもなく,若年労働者の救済には二の足を踏み,ただ漫然と賃上げ要求に固執する反動的存在になってしまっている。 つまり,こういった新たな政策を決定するときに,バラ色の未来だけを強調し,その結果がもたらす問題点に目を瞑る国の体質を忘れるほど,もはや,国民も愚かではない。近くは,社会から疎外され,見捨てられたあの就職氷河期世代があり,又,ゆとり教育に振り回され,基礎学力の欠落した世代の就職難が続いたことは記憶に新しい。今,求められている高度理系人材なる労働者が,果たしてどこまで電脳化する社会を牽引していけるか,は判然としないが,ここで2007年当時の朝日新聞の本田由紀さん(1964.12.24.)の論説を再読し,若者たちの就職とその家族が被ったしわ寄せについて再認識しておきたい。 新規学卒採用の活発化がしばしば報道されている。しかしそのことをもって,今後の若年雇用について楽観的な見通しを抱くことはできない。 その理由は,すでに政策課題とされている「年長フリーター」の存在だけではない。将来にわたる不安要素として指摘すべきは,第一に,不安定就業や無業のまま離学する層が今後も一定の規模で生み出され続けると予測されること,第二に,離学後にいったん正社員として雇用を得ながらもその後に非正社員の処遇に改善の兆しが希薄であることである。 第一の点は,企業が新卒採用に意欲を見せつつも「厳選採用」姿勢を崩しておらず,若者の側にも離学時に正社員にならない選択肢がある程度根付いていることによる。第二の点は,正社員としての働き方がますます過酷になっていることに,また第三の点は,企業が非正社員をあくまで人件費節約と雇用調整のための存在とみなし続けていることによる。これらの点はデータからも確認できる。 労働政策研究・研修機構が都内の18~29歳の若者の働き方を01年と06年の2時点で比較した調査結果によると,この間に若年正社員の労働時間は増加し,逆に年収は減少している。ここに先の第二の点,つまり若年正社員の労働条件の悪化の事実が表れている。 また同調査では,非正社員の時間当たり収入にはこの間にほとんど変化がなく,アルバイト・パート男性の06年時点での年収は平均約174万円である。この水準の収入では親から独立して家庭をもつことは難しい。実際にアルバイト・パート男性の4人に3人は親元に住み,有配偶率は1.5%で,正社員男性と比べ大きな差がある。しかも同調査では,アルバイト・パートへの滞留傾向が顕在化しており,低賃金・不安定雇用の状態が永続化するケースが増えている。これらの知見は,先述の第三の点を裏付ける。 このように,新卒者の就職状況がやや改善したとはいえ,若者の仕事面での苦境は明らかに存続している。正社員になれば最大限のエネルギーと時間の投入を必ずしもそれに見合う処遇なく要請される。非正社員になれば,さらに低い賃金と明日の職さえ確実でない不安が続く。いずれを選んでも厳しい前途が待っているのである。 特に,定収入の若年非正社員が3人に1人に達するほどの規模になっていることについて,そのような事態がなぜ社会全体として成立可能なのかを改めて考える必要がある。若者に対して批判的な論者たちはこの問題を,若者が豊かな親世代に依存しパラサイト(寄生)しているためにあくせく働かないからだ,と説明してきた。しかし現実は,そうした個人単位・家族単位のミクロレベルの説明を越えた規模で進行している。これはすでに,「マクロな社会システム間の関係性」という観点からの把握を要する事態である。 それに関して社会学者の居郷至伸は近刊論文で,個々の若者が個々の親に依存しているのではなく,経済システムが家族システムの含み資産(親世代の収入,住居など)に依存しているのだ,という興味深い見解を打ち出している。居郷の指摘を敷衍(フエン)しよう。ミクロな説明は,仕事と家族の間に「若者の甘え」という心理要因を介在させることで,問題を若者個々人に帰責してしまう。しかし若者の甘えという無根拠な要因を除去し,より大局的な見地から見れば,経済システムと家族システムとの直接的な依存関係という事実が浮かび上がる。 すなわち,これほど大量の低賃金労働者が暴動に走りもせず社会内に存在しえているのは,彼らを支える家族という社会領域の存在に企業がよりかかることになり,彼らの生活保障に関する責任を放棄した処遇を与え続けることができているからなのだ。それゆえ親の早世や離別などにより依存できる家族を持たない若者は,現下でも厳しい困窮状態に置かれている。 しかもこうした企業の家族への依存は,長期的に持続可能ではなく,非常に脆く暫定的なものである。冷戦下でアメリカの庇護により日本が経済発展を遂げ得た時期に,安定的な雇用と賃金,そして年金を享受し得た親世代は,今後数10年の間にこの社会を去る。そのあとに残されるのは,むき出しの低賃金労働者の巨大な群れである。 この事態を一体どうするのか。「再チャレンジ」政策や最近打ち出された「成長力底上げ戦略」は,機会の実質的な拡充を伴わないままに,問題を個人の努力というミクロ次元にすり替える結果に終わることが危惧される。マクロな次元の社会設計として,企業が労働者に対して果たすべき責任を完遂させる強力な枠組みが不可欠である。また企業と家族以外に個人にとって安全網となる制度を公的に手厚く整備する必要がある。 具体的には,無償ないし生活費補助を伴う職業教育訓練の大幅拡充や,丁寧なカウンセリングと選択可能な複数の就労ルートを整備した確実性の高い就労支援,生活保護対策の基準緩和などが求められる。それらの実現のためにも,個々人が苦境に耐えるのではなく協同して怒りの叫びをあげる必要がある。 以上が本田さんの分析である。 ここで言う正規社員は現代の高度理系人材ではないが,何やらその待遇は正規社員以上のものであると想像される。果して,現在の一般社員がリスキングなどと言う小手先のスキルアップに挑戦して,今,必要とされる高度理系人材なるものにいきなり変身できるであろうか。理ケ女などと女性の登用を匂わせたり,三十代の再チャレンジのチャンスであるかのような国の喧伝を真に受けて転職しようものなら,今までのキャリアを失い,下手をすると失職することにもなりかねない。その対象となる若年労働者のバックボーンである家庭についての経済的事情をどこまで考慮するのか。さらに,ディジタル化に対応できない非正規社員を抱える企業への就労支援の具体策も結局,何等かの国庫負担を考えなければならなくなることは必須であろうし,ロボティクス化する職場への対応も待ったなしである。 トピックス 社会 科学 2022年11月28日 Posted by kirisawa 戻る
現在の日本の社会にはディジタルの波が押し寄せている。つまり,高度理系人材なる労働者の不足が国際的な経済の遅滞を招いたとの反省から可及的速やかにその解消を図る目的で今,又,国は懲りもせず,主に若者を対象にそのスキルアップを,国を挙げて行おうとしている。しかしながら,国が主導した若者を対象にした労働政策は度々行われてきており,その度に社会に無用の混乱と摩擦を引き起こしてきたことは記憶に新しい。契約社員・派遣社員の非正規労働に踏み切った時も,それは労働・雇用の流動化を招いただけで,終身雇用制度は廃止されず,結局,残業労働の拡張という,明らかに労働条件の悪化に繋がったに過ぎない。
国は,統計資料を駆使して,これまでも労働市場の再編成を繰り返してきており,最近でもダイバーシティの雇用積極化とか男性の育休とか,あるいは,到底,実現の見込みのない同一労働同一賃金制や女性の経営者の育成を企業に義務化することなどを示し,労働生産性の向上を名目とする,様々な施策を提示してきたが,一向に改善に結びついていない。こうした傾向に対し,労働組合も又,イノベーションの進展やディジタル化の時代に適応できず,電脳化によるパラダイムの転換に言及することもなく,若年労働者の救済には二の足を踏み,ただ漫然と賃上げ要求に固執する反動的存在になってしまっている。
つまり,こういった新たな政策を決定するときに,バラ色の未来だけを強調し,その結果がもたらす問題点に目を瞑る国の体質を忘れるほど,もはや,国民も愚かではない。近くは,社会から疎外され,見捨てられたあの就職氷河期世代があり,又,ゆとり教育に振り回され,基礎学力の欠落した世代の就職難が続いたことは記憶に新しい。今,求められている高度理系人材なる労働者が,果たしてどこまで電脳化する社会を牽引していけるか,は判然としないが,ここで2007年当時の朝日新聞の本田由紀さん(1964.12.24.)の論説を再読し,若者たちの就職とその家族が被ったしわ寄せについて再認識しておきたい。
新規学卒採用の活発化がしばしば報道されている。しかしそのことをもって,今後の若年雇用について楽観的な見通しを抱くことはできない。
その理由は,すでに政策課題とされている「年長フリーター」の存在だけではない。将来にわたる不安要素として指摘すべきは,第一に,不安定就業や無業のまま離学する層が今後も一定の規模で生み出され続けると予測されること,第二に,離学後にいったん正社員として雇用を得ながらもその後に非正社員の処遇に改善の兆しが希薄であることである。
第一の点は,企業が新卒採用に意欲を見せつつも「厳選採用」姿勢を崩しておらず,若者の側にも離学時に正社員にならない選択肢がある程度根付いていることによる。第二の点は,正社員としての働き方がますます過酷になっていることに,また第三の点は,企業が非正社員をあくまで人件費節約と雇用調整のための存在とみなし続けていることによる。これらの点はデータからも確認できる。
労働政策研究・研修機構が都内の18~29歳の若者の働き方を01年と06年の2時点で比較した調査結果によると,この間に若年正社員の労働時間は増加し,逆に年収は減少している。ここに先の第二の点,つまり若年正社員の労働条件の悪化の事実が表れている。
また同調査では,非正社員の時間当たり収入にはこの間にほとんど変化がなく,アルバイト・パート男性の06年時点での年収は平均約174万円である。この水準の収入では親から独立して家庭をもつことは難しい。実際にアルバイト・パート男性の4人に3人は親元に住み,有配偶率は1.5%で,正社員男性と比べ大きな差がある。しかも同調査では,アルバイト・パートへの滞留傾向が顕在化しており,低賃金・不安定雇用の状態が永続化するケースが増えている。これらの知見は,先述の第三の点を裏付ける。
このように,新卒者の就職状況がやや改善したとはいえ,若者の仕事面での苦境は明らかに存続している。正社員になれば最大限のエネルギーと時間の投入を必ずしもそれに見合う処遇なく要請される。非正社員になれば,さらに低い賃金と明日の職さえ確実でない不安が続く。いずれを選んでも厳しい前途が待っているのである。
特に,定収入の若年非正社員が3人に1人に達するほどの規模になっていることについて,そのような事態がなぜ社会全体として成立可能なのかを改めて考える必要がある。若者に対して批判的な論者たちはこの問題を,若者が豊かな親世代に依存しパラサイト(寄生)しているためにあくせく働かないからだ,と説明してきた。しかし現実は,そうした個人単位・家族単位のミクロレベルの説明を越えた規模で進行している。これはすでに,「マクロな社会システム間の関係性」という観点からの把握を要する事態である。
それに関して社会学者の居郷至伸は近刊論文で,個々の若者が個々の親に依存しているのではなく,経済システムが家族システムの含み資産(親世代の収入,住居など)に依存しているのだ,という興味深い見解を打ち出している。居郷の指摘を敷衍(フエン)しよう。ミクロな説明は,仕事と家族の間に「若者の甘え」という心理要因を介在させることで,問題を若者個々人に帰責してしまう。しかし若者の甘えという無根拠な要因を除去し,より大局的な見地から見れば,経済システムと家族システムとの直接的な依存関係という事実が浮かび上がる。
すなわち,これほど大量の低賃金労働者が暴動に走りもせず社会内に存在しえているのは,彼らを支える家族という社会領域の存在に企業がよりかかることになり,彼らの生活保障に関する責任を放棄した処遇を与え続けることができているからなのだ。それゆえ親の早世や離別などにより依存できる家族を持たない若者は,現下でも厳しい困窮状態に置かれている。
しかもこうした企業の家族への依存は,長期的に持続可能ではなく,非常に脆く暫定的なものである。冷戦下でアメリカの庇護により日本が経済発展を遂げ得た時期に,安定的な雇用と賃金,そして年金を享受し得た親世代は,今後数10年の間にこの社会を去る。そのあとに残されるのは,むき出しの低賃金労働者の巨大な群れである。
この事態を一体どうするのか。「再チャレンジ」政策や最近打ち出された「成長力底上げ戦略」は,機会の実質的な拡充を伴わないままに,問題を個人の努力というミクロ次元にすり替える結果に終わることが危惧される。マクロな次元の社会設計として,企業が労働者に対して果たすべき責任を完遂させる強力な枠組みが不可欠である。また企業と家族以外に個人にとって安全網となる制度を公的に手厚く整備する必要がある。
具体的には,無償ないし生活費補助を伴う職業教育訓練の大幅拡充や,丁寧なカウンセリングと選択可能な複数の就労ルートを整備した確実性の高い就労支援,生活保護対策の基準緩和などが求められる。それらの実現のためにも,個々人が苦境に耐えるのではなく協同して怒りの叫びをあげる必要がある。
以上が本田さんの分析である。
ここで言う正規社員は現代の高度理系人材ではないが,何やらその待遇は正規社員以上のものであると想像される。果して,現在の一般社員がリスキングなどと言う小手先のスキルアップに挑戦して,今,必要とされる高度理系人材なるものにいきなり変身できるであろうか。理ケ女などと女性の登用を匂わせたり,三十代の再チャレンジのチャンスであるかのような国の喧伝を真に受けて転職しようものなら,今までのキャリアを失い,下手をすると失職することにもなりかねない。その対象となる若年労働者のバックボーンである家庭についての経済的事情をどこまで考慮するのか。さらに,ディジタル化に対応できない非正規社員を抱える企業への就労支援の具体策も結局,何等かの国庫負担を考えなければならなくなることは必須であろうし,ロボティクス化する職場への対応も待ったなしである。