“神々”の系譜 その2


1960年代のmusic sceneは、pop musicとRock and Rollの流行と電気楽器の浸透、そして、jazz liveの退潮とが、同時並行的に進行したことが一つの特徴として挙げられる。殊に、jazz退潮の大きな理由には、underground sceneでのR&B、blues rockの比較的広範囲な進展と、公民権運動の結果、gospelやfolkへ黒人の関心が分散したため、であったと考えられる。jazzの得意とする即興演奏は、blues rockのオハコとなり、それはやがて、rock全般の専売特許となっていく。それは、サイケデリック・カルチャー(文化)psychedelic cultureの中で音楽全般の融合だけでなく、アートart全般をも含むカウンター・カルチャーcounter cultureの一部として展開され、多角的多面的な、革新的ムーブメントmovementの中核となっていくのである。rock全盛の時代が訪れようとしていた。

因(チナ)みに、jazzの分野では、free jazzに飽き足らない、Miles Davis(1926.5.26.-1991.9.28.)のような柔軟で、変幻自在なplayerだけが、クロスオーヴァーcross over(後の、フュージョンfusion)の時代にまで、生き残っていくことになる。

1961年、イギリスU.K.では、blues rockの様々なセッションsessionが行われるようになっていた。そこから、rockの黄金期を担う次代の騎士たちの多くが生まれ、あるいは、影響を受け、巣立っていったのだが、後に、クリームThe Creamを結成する3人の勇者、エリック・クラプトンEric Claptonも、ジャック・ブルースJack Bruceも、ジンジャー・ベイカーGinger Bakerも、その中の一人だったのである。

Eric Clapton(1945.3.30.)は、Englandに生まれ、早くに両親と別れ、祖父母の下で育った。13歳の誕生日にguitarをpresentされると、すぐに夢中になり、友人から借りたblues歌手Robert Johnson(1911.5.8.-1938.8.16.)のrecordを一日中聞きまくり、昼夜を分かたず、繰り返し、練習して、暗譜したという。18歳で美術学校に入ったが、bluesへの思いは断ち切れず、お決まりのアマチュアバンドamateur bandでの研鑽という道を歩むことになる。

1963年、ルースターズRoostersなどを経て、ヤードバーズThe Yardbirdsの正式memberとなったが、guitar techniqueを認められたものの、groupはpop路線へ舵を切り、bluesから距離を置いてしまったため、1965年、Claptonは、ジョン・メイオールJohn Mayall(1933.11.29.)のブルースブレイカーズThe Bluesbreakersに移籍したが、ここでの活躍はその後の彼の人生を決定的なものとした。彼は、guitarの神、と呼ばれた。

Jack Bruce(1943.5.14.-2014.10.25.)は、Scotlandの一地方ビショップブリックスBishop bricksに生まれた。4歳の時、左翼の労働運動家だった両親の都合でCanadaに移住するも、2年で帰国、友人に恵まれず孤独な日々を過ごしたが、歌が唯一の救いだったという。radioのclassic番組に傾倒し、父や兄の弾くjazz pianoの影響を受け、10歳ごろには、自分でpianoで作曲するようになり、11歳からは、音楽の専門教育を受けたが、結局jazzに惹かれて、途中でdrop outした。1962年、18歳になった彼はLondonに出る。そこで、遭遇したのが、当(マサ)に、今、立ち上ったblues rockの炎だった。Bruceは、2、3のbandを渡り歩いた後、コントラバスcontrabassをelectric bassに持ち替えて、1965年、John MayallのブルースブレイカーズThe Bluesebreakersに参加する。

Ginger Baker(1939.8.19.-2019.10.6.)は、London生まれ、15歳でdrum演奏を始め、1950年代には、一端のdrummerとして名を馳せていた。古今東西のpercussionに通じ、早くからbluesとjazzの融合に関心を示すなど、一部では、時代の先見性と飛躍的な精神性は高く評価されていた。1962年頃、Bakerもblues rockの渦中にいた。そこで渡り歩いたbandで出会ったのが、天才Jack Bruceだった。二人は犬猿の仲だったという。音楽性の問題というより、性格の不一致というものだった。しかし、二人は、次代の音楽を模索する仲間でもあった。互いのrival意識は、The Creamとなってからも変わらなかった。

The Cream結成のepisodeは余りにも有名である。1966年の夏、rockの新しい展開を目指す稀代のdrummer、Ginger Bakerは、トコトン、究極のsoundを追求できる、最高のtrio bandを結成しようと、memberを探し回っていた。既に、Eric Claptonの名は、そこにあった。Claptonは、第一級のblues guitaristであり、彼に匹敵する存在はいなかった。彼は、その迸(ホトバシ)る才気とpassionに突き動かされ、新たなる活躍の場を求めて蠢(ウゴメ)いていた。Bakerからの誘いは、全く、時宜を得たものであり、待っていたものであった。Bakerは早速、Claptonに会いに行った。Bakerが語る新bandの構想に、Claptonは意気投合した。Bakerが、bassは誰を希望するか、訊ねると、Claptonの答えは、意外なものだった。Jack Bruceだ、と言う。Bakerは、驚きのあまり、言葉を失った。運転していた自動車のhandleを放してしまうところだった。Claptonは、二人の険悪な関係を知っていたが、史上最強の、進化したbandには、この三人でなくてはならない、という確信があった。Bakerは、すぐ、その真意を理解し、Claptonの提案を承諾した。

The Creamの音楽とは、如何なるものであったかというと、Bruceが主に作曲とlead vocalを担当したものの、三人は、ほぼ対等で、Claptonの神業のguitar、BakerのAfrican beatが炸裂し、それぞれの独奏は、techniqueの限りを尽くした熱演で、演奏は交互に絶え間なく続き、会場は興奮の坩堝(ルツボ)と化し、観客は魂の競演に酔い痴れた。それは、心の奥底の内なる世界に分け入っていくような深化した音楽体験であり、清明な精神世界を形作っていて、当に、psychedelic worldを表現し、体現するものであった。その、滔々と対流する音の奔流の中を、忘我の演奏が繰り広げられていく、恍惚の幻が、The Creamだったのかもしれない。
2020年03月07日
Posted by kirisawa
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