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かつて、彼は、批判的に社会を見る眼識を持ちながらも、騒然混沌の中に浮遊する疎外と断絶の時代にあって、人には親切で温かい心を持ち、又、労(イタワ)り、思いやりのある自分は表に出さず、慎み深く、あくまでも、謙虚な姿勢で創作に励んだ、一風変わった不思議な演劇作家であった。彼は、不条理劇作家と呼ばれた。当時、サミュエル・ベケット(1906.4.13.-1989.12.22.)やウジェーヌ・イヨネスコ(1909.11.26.-1994.3.28.)の舞台を中心に、少数の個性派俳優を使った簡素・簡潔な不条理劇が注目され始めており、その代表作、ベケットの「ゴドーを待ちながら」は日本でも話題となっていた。
別役実(1937.4.6.-2020.3.3.)は、早くから、ベケットのこの作品に注目し、自分の舞台にこの様式を取り入れ、小劇場の革新を計った。また、彼は、童話作家であり、劇中歌の作詞家である、という、当時としては、マルチなクリエイターとしての側面も持っていた。それは、横尾忠則(1936.6.27.)や加藤和彦(1947.3.21.-2009.10.16.)らとも通じる、日本のサイケ世代の特徴であり、やがて、消えゆく運命にあったカウンターカルチャー・ムーブメントの一翼を担った存在であった。しかし、小室等(1943.11.23.)が唄った劇中歌「雨が空から降れば」や、NHKの子供番組「おかあさんといっしょ」の田島令子(1949.2.17.)の「おはなしこんにちは」などの別役作品は、一般には好評だったものの、別役自身は、そういう、複製可能・再生可能なコピー文化を、本質嫌っており、それらが流通することを不快に思っていたことは、余り知られていないだろう。
彼にとって、演劇とは、瞬間瞬間に繰り広げられる、一期一会の積み重ねであり、それを鑑賞するキャパシティーも200人を越えては、意思が正しく伝わらないものなのだ、という拘(コダワ)りがあり、終生、それは変わらなかったようだ。物分かりのいい頑固者で、演劇は、反社会的なものである、と繰り返し、再三、あちこちで述べていて、演劇の持つメッセージの波状性にこそ、その真髄があるのだとする独自の理論に頑(カタク)なで、そのスタンスは絶対曲げなかったが、晩年は、小劇場演劇の作家であるにもかかわらず、若い演劇人たちから、オーソリティーの一人に祭り上げられ、メジャーな大家になっていたのも、別役らしいといえば、別役らしい変身ぶりである。しかしながら、別役演劇はその立ち位置が、社会抵抗勢力サイドのそれであるところから、どこまでも、その主張はゲリラ戦的展開となる。正面を向かない、しかし、後ろ向きではない、横向きの論理展開なのである。つまり、彼の不条理とは永久不滅の終わりのない批判のスパイラルの繰り返しであり、おそらく、そこから抜け出す意思もそれ自体も、本人は意識することもなかったに違いない。その終演が、パーキンソン病であったことは痛ましい限りである。