連邦の形成過程と自治意識;ドイツ 10
連邦の形成過程と自治意識;ドイツ 10 本シリーズでは,宗教支配と国家体制の確立という観点から中世ドイツの歩みを観察・論説してきたわけだが,信仰の教義に左右されながらも,何とか道徳律に従おうとする,両勢力の葛藤を軸に神聖ローマ帝国の実態を明らかにしようと試みてきた次第である。ドイツ人は独立の気...
十字軍と東方干渉戦争;ドイツ 9
十字軍と東方干渉戦争;ドイツ 9 そもそも,この十字軍という西欧域外への軍事侵攻は,1095年,セルジューク朝にアナトリアを奪われた東方帝国からの傭兵派遣の要請が発端であり.教皇ウルバヌス2世が,クレルモン公会議で,フランスに対し,聖地エルサレム奪還を理由に軍団を組織して遠征することを呼びかけたこ...
知略と交渉,フリードリヒ2世(1);ドイツ 6
知略と交渉、フリードリヒ2世(1) ;ドイツ 6  父の遺領を受け継いだハインリヒ6世(1165.11.-1197.9.28.;在位1191-1197;シチリア王1194-1197)ではあったが、その一生の大半はイタリア経営と諸都市の反乱の制圧に忙殺される羽目になり、ドイツにおいては、皇帝不在という一種の政治的弛緩状態にあって、ヴ...
知略と交渉,フリードリヒ2世(2);ドイツ 7
知略と交渉、フリードリヒ2世(2);ドイツ 7 1209年,成年を迎えたフリードリヒは10歳年上のアラゴン王国の王女コンスタンツァと婚約し,正式にシチリア王位に就く意志を表明した。コンスタンツァは彼にプロヴァンス語と洗練された潤いのある宮廷生活を齎(モタラ)した。一方,インノケンティウス3世は,フリ...
知略と交渉,フリードリヒ2世(3);ドイツ 8
知略と交渉、フリードリヒ2世(3);ドイツ 8 フリードリヒの遠征中,グレゴリウス9世は北イタリア諸都市を唆(ソソノカ)して南イタリアを攻撃した。皇帝は帰国すると都市を占拠していた教皇派の軍隊を撃退し,教皇を威嚇して,和議に持ち込むことに成功した。1230年,チュートン騎士団と皇帝側の譲歩で,サン...
帝国の統合と政教合体;ドイツ2
すでに皇帝戴冠以前、951年ミラノを支配下に置きヴェネツィアへの道を手中に収めていたオットー1世はローマでの権力掌握とイタリア経営にとりわけ熱心で、それを帝国統治の基盤に据えたが、イタリア南部に権益を有し、帝国の正当性に疑義を呈して戦争状態となっていたビザンティン帝国との和解が喫緊の課題であった。帝...
神聖ローマ帝国の成立;ドイツ1
814年カール大帝はアーヘンで死去した。 今も初代神聖ローマ帝国皇帝とみなされているこのフランク王国の支配者はその治績ゆえにとも呼ばれる存在であったが、死後、王国は動揺し、地方権力が分立してその領地は解体寸前となっていく。 カール大帝の第3子ルードヴィヒ1世(独人王)の時代、王国はまだ保全されていた。ル...
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