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そもそも,この十字軍という西欧域外への軍事侵攻は,1095年,セルジューク朝にアナトリアを奪われた東方帝国からの傭兵派遣の要請が発端であり.教皇ウルバヌス2世が,クレルモン公会議で,フランスに対し,聖地エルサレム奪還を理由に軍団を組織して遠征することを呼びかけたことに始まる。この教皇のイスラム壊滅を目指す方針にフランスの説教者で隠者のピエールが先導者となって,貧しい民衆や下級騎士たちは,東方世界への戦争に動員されていったが,まだ,この時点は十字軍という勇ましい呼称は付いていなかった。
その後の教皇たちも,多かれ少なかれ,諸侯や皇帝に出兵を命じ,ドイツ騎士団修道会などの武装集団に病院の形をとらせてエルサレム近辺を制圧しようと試みたが,容易に事態は進展しなかった。然も,十字軍という名ばかりの盗賊同然に振る舞う集団も後を絶たず,その賛否は次第に混然としていった。
1202年にヴェネツィア商人を中心にした第4次十字軍は,1204年,救援すべきコンスタンティノープルを攻撃占領してラテン帝国という傀儡国家を作ったり,1212年には,フランスの少年エティエンヌの呼びかけによりフランスと帝国内から神の啓示に従う1万人以上の多くの少年少女が,子供十字軍として組織化され,船を斡旋した商人たちの陰謀に嵌(ハマ)り,アレクサンドリアで奴隷として売り飛ばされるという事件も起こったが,その財宝と貿易での利益につられてその後も,十字軍に参加する巡礼の聖職者や民間人は絶えることは無かった。そして,この時代こそがフリードリヒ2世が生きた時代であり,イスラム文化やギリシャ文化がイタリアを中心に流入し,ルネッサンス,人間復興の時代を準備することになる。それは,やがて,西方教会と帝国諸侯との利害が絡む宗教対立,宗教改革へと繋がっていくのである。