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本シリーズでは,宗教支配と国家体制の確立という観点から中世ドイツの歩みを観察・論説してきたわけだが,信仰の教義に左右されながらも,何とか道徳律に従おうとする,両勢力の葛藤を軸に神聖ローマ帝国の実態を明らかにしようと試みてきた次第である。ドイツ人は独立の気性が著しく,人間的な功利にも長け,虚実綯(ナ)い交ぜの政治的判断に優れ,ある意味,執念深い体質を有する民族であるが,一方では信心深く,謙虚である。それは情痴的判断にともすると流れてしまうどこかの国の歴史とは相いれない確固たる道が在り,その実現を図ろうとする気力に満ち溢れているからに見える。
中世における皇帝権力の完全なる掌握は自ずと無理難題であって,それをもし実現するのであれば,政教一致,即ち,皇帝が教皇を兼ねるしかないのであり,それはローマの文脈では不可能であった。帝国はあくまで世俗的な教会の番犬であり,それこそが教皇庁の希望にかなう道であった。しかし,帝国は教会財産の管理人でもなく,教会は皇帝の権力上の保証人たりうべき存在でもなかった。これは,国家の主体の問題であって,世俗権力の主体である皇帝が宗教的権威である教皇を追放するしか方途は無く,実際そうした動きもあったが,問題解決には結びつかなかった。
それは騎士階級も含め。民衆の側に立つ宗教者が無く,直接の収奪者である皇帝の側に立つ聖職者も,凡そいなかったためであり,イタリアの富にドイツは常に隷属することを余儀なくされていた。ドイツ側で成功した商人はフッガー家が目立つぐらいである。ドイツの後進性はフリードリヒ2世の没後,著しく進み,それは,新教のリーダー,ルターの出現を待つまで続いた。ルターがドイツ語版の聖書の活版印刷に踏み切ったことは革命的出来事であり,ここに西方教会の軛(クビキ)は漸く解きほぐされた。この時から,ドイツの独立の道は開かれ,諸侯分権体制の崩壊が始まったのである。
ドイツは連邦体制という分権自治意識が高く,近代においては,関税統合に始まる地域の一体化に先鞭をつけた国家として,地球の将来を展望する上で大きなヒントを与えてくれる国家なのではないだろうか?そうした観点から,近代ドイツの発展とその哲学・思想というものを読み解いていこう。