マルクスとエンゲルス(1) 運命の二人 最初の出会い;近代ドイツ 7
カール・マルクス(Karl Marx 1818.5.5.-1883.3.14.)は、由緒あるユダヤ教のラビ(導師)の家系の出である実直な弁護士ハインリヒと、同じユダヤ教徒でオランダ出身のヘンリエッタを両親に、プロイセン王国のライン地方の町トリーアに、その次男として誕生した。トリーアは、中世以降、トリーア大司教領の都として栄え...
ハプスブルク帝国の衰微とプロイセンによる関税同盟の進展;近代ドイツ 5
1821年、メッテルニヒはオーストリア宰相となり、ハプスブルクは、オーストリア、ハンガリー、ボヘミア、プロイセンを除くドイツ、北イタリアの中南欧のほぼ60%を占める一大帝国に成長した。メッテルニヒの面目躍如である。しかし、ウィーン体制は思わぬところからひびが入った。スペイン領アメリカである。ブルボン家の...
ヘーゲル、弁証法による世界観の成立、もしくは、神との葛藤;近代ドイツ 4
ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel 1770.8.27.-1831.11.14.)は、シュトットガルトのプロテスタント(父は中級官吏)の家に生まれ、幼児期よりラテン語の手ほどきを受けて、知識欲も旺盛な子供であったが、13歳の時、母親が死去し、人間の運命について考えるようになった。1788年、18歳になると、チュービンゲン...
メッテルニヒのドイツ、あるいは、ドイツ精神の形成;近代ドイツ 3
1814年9月1日、オーストリア帝国(ハプスブルク帝国)の外相クレメンス・フォン・メッテルニヒ(Klemens von Metternich-Winneburg zu Beilstein 1773.5.15.-1859.6.11.)の画策により、全ヨーロッパをフランス革命以前の王権復古体制に帰順させるべく、帝都ウィーンで国際会議が始まった。確かに、これは、秩序の再建と...
宗教改革 利益追求と労働価値の承認、あるいは、その足音;近代ドイツ prologue
中世以降、ローマの収奪は一層激しく、ドイツ諸邦の封建領主たちは苦悩の色を濃くしていた。ホーエンシュタウフェン家の断絶後、帝国の威信は既になく、帝国は主権を喪失し、その後も復権することもできず、有名無実のまま、ハプスブルク家に宗主権を奪われ、領邦は分断され、ドイツの諸権利はローマをはじめとする国外...
プロイセン王国の成立、そして、カント哲学の展開;近代ドイツ 2
イマヌエル・カント(Immanuel Kant 1724.4.22.-1804.2.12.)の生まれたプロイセンは、ドイツにおいては、比較的新しい王権国家であって、1618年、神聖ローマ帝国ブランデンブルク選帝侯ヨーハン・ジギスムントがポーランド王国領であったプロイセン公領を同君連合という形で事実上自領に組み入れたことで、同国の骨格が...
胎動、あるいは黎明;近代ドイツ1
フランクフルト・アム・マインFrankfurt am Mainの両替商マイヤー・アムシェル・ロートシルトMayer Amschel Rothschild(赤い盾.Red shieldの意)(1744.2.23.-1812.9.19.)は、その5人の息子たちと共にフランス革命の混乱からナポレオン戦争に至るヨーロッパの大動乱の時代を生き、その時代を背景に合法・非合法を問...