HOME > 宗教改革 利益追求と労働価値の承認、あるいは、その足音;近代ドイツ prologue 最近の投稿 不思議の国の高度理系人材の不足 2 不思議の国の高度理系人材の不足 1 ショートコラムの憂鬱 2022 part 2 知らず語りのレトリック。 幸運の輪 [wheel of fortune];煉獄への誘い その11 アーカイブ 月を選択 2022年12月 (1件) 2022年11月 (3件) 2022年10月 (3件) 2022年09月 (12件) 2022年08月 (4件) 2022年07月 (3件) 2022年06月 (10件) 2022年05月 (4件) 2022年04月 (2件) 2022年03月 (2件) 2021年12月 (7件) 2021年11月 (7件) 2021年10月 (9件) 2021年09月 (3件) 2021年08月 (10件) 2021年07月 (5件) 2020年11月 (10件) 2020年10月 (6件) 2020年09月 (8件) 2020年08月 (11件) 2020年07月 (12件) 2020年06月 (15件) 2020年05月 (11件) 2020年04月 (3件) 2020年03月 (11件) 2020年01月 (3件) 2019年12月 (3件) 2019年11月 (9件) 2019年10月 (5件) 2019年09月 (5件) 2019年08月 (5件) 2019年07月 (7件) 2019年06月 (6件) 2019年04月 (1件) 2019年03月 (5件) 2018年12月 (4件) 2018年11月 (1件) 2018年08月 (2件) 2018年05月 (2件) 2017年11月 (1件) 2017年08月 (1件) 2017年06月 (2件) 2017年05月 (1件) 2017年04月 (2件) 2017年03月 (3件) カテゴリー カテゴリーを選択 コンピューター AI トピックス ドイツ ネコ 世界 人 占い 哲学 地球 宗教 工学 心理学 手塚治虫 文学 歴史 環境 生活 生理学 真理 社会 神聖ローマ帝国 科学 経済 自我と人格 言葉 言語 近代ドイツ 運命 音楽 宗教改革 利益追求と労働価値の承認、あるいは、その足音;近代ドイツ prologue 中世以降、ローマの収奪は一層激しく、ドイツ諸邦の封建領主たちは苦悩の色を濃くしていた。ホーエンシュタウフェン家の断絶後、帝国の威信は既になく、帝国は主権を喪失し、その後も復権することもできず、有名無実のまま、ハプスブルク家に宗主権を奪われ、領邦は分断され、ドイツの諸権利はローマをはじめとする国外勢力に蹂躙される運命にあった。 ルター(Martin Luther1483.11.10.-1546.2.18.)は係る情勢下で育ち、ローマの横暴に明らかに反発を覚えた。改革者は神の子の声を聖書から聞き取り、ドイツを軛(クビキ)から解き放ち、教会を腐敗と独善の泥沼から引き戻して公明正大なキリスト教の原点に復帰させるべく行動を開始した。 丁度その頃、ローマは、欺瞞に満ちた封建社会の特権階級である自身の商業活動だけが例外とされていることを逆手にとって、これまで散々寄進と称して強制納入させてきたのと同じ手口で、免罪符という空手形をドイツ領内の司教たちの私腹を肥やす手段として、曳いては、ローマ自身の収入とするべく、領邦内の全領民に購入させようと領主に圧力をかけた。しかし、時節が悪かった。一部領主層は激怒した。これは、困窮状態にある領民の反発を買う愚策であり、そんなことをすれば、領主といえども手痛い反撃を食いかねない。押し付けられる側は、結束した。 それでは、ルターはどうしたか、元々、反ローマの反逆者である。彼は、公然と教会の腐敗と堕落を非難し、ラテン語で書かれた聖書Bibleの破棄を主張し、ドイツではドイツ語で書かれた聖書を読むべし、と諭した。ドイツ人がドイツ語で聖書を読むのは当然で、それでこそ初めて内容を理解できる。ルターの改革が成就したのは、こうした的を射た民族主義的対応もさることながら、その根幹に、信仰を善意の糧とする(信仰唯一)と言う、基本的態度が明確に打ち出されており、宗教者として、最も大切な、判断の曖昧さというものがないことがあげられる。尚、プロテスタントの宗教指導者は妻帯しており、ルターがその先駆である。しかし、ユダヤ人については、ルターもその時代人と同じく、偏見の持ち主であり差別感情を持っていた。 ルターが破門されるまで、若干の日時と討議があったが、結局、審問の結果は決まっていた、と言ってよい。この結果、ドイツ領邦は分裂したが、勝者は明らかであり、後年、ルター自身もルター派を始めとするプロテスタント、エヴァンゲリシュ(福音派)も、物理的にも経済的にも事実上、ローマ・カトリックの支配から分離し、独自の道を歩んだ。ルターの改革はヨーロッパ全域へと広がり、ローマから解放された各地のコミュニティーでは、勤労・就職の自由が保障され、それは利益追求の自由、幸福追求の自由を求める民衆の声となって、時代を動かしていくことになる。 ルターは、形骸化し、腐敗した律法の殻を破り、信仰の自由を取り戻したが、又、秩序を回復して、律法を新たにしようという動きも起きてくる。その役目は、カルヴァン(Jean Calvin 1509.7.10.-1564.5.27.)によって行われた。戒律は、新たに整理され、広められた。その精神は、次の道徳律に集約される。即ち、禁欲・勤勉・実直。生きていく上で、最も大切にしなければならないこと。以後、エヴァンゲリシュ(福音派)を中心にアメリカの開拓時代をリードする思潮になっていく。一方、ヨーロッパでは、20世紀、マックス・ウェーバー(Max Weber 1864.4.21.-1920.6.14.)によって、資本主義発展の精神的支柱がこのカルヴィニズムに由来していたことが明示される。 プロテスタント・コミュニティーの成立は、資本市場においては、マーケットの再編・再々編を意味し、それは先ず、旧世界に波及した。又、王権国家間の市場争奪に伴う戦争は、彼らの商業活動拠点の世界的拡張に寄与する結果となった。プロテスタント(新教徒)は国民主義nationalismと資本主義capitalismを結び付け、各国に国民国家を建国し、ついては、自由貿易を推進し、植民地の獲得に懸命になり、世界市場の分割という帝国主義の最終段階に至る。彼らの目指した資本主義は、内には過重労働、外には対外戦争、という制御の利かない初歩の経済体制であった。 それから今日まで、ドイツ人の叡智は、このめくるめく変遷する国家群の骨格を成す理念・思想を何らかの直観により、歴史に先駆けて感知し、哲学的に、あるいは宗教的に、啓示でもあるかのように提示し、自国の体制に組み入れて、その結果を問うてきたのである。ルター、ロスチャイルド、カント、ヘーゲル、フォイエルバッハ、マルクス、エンゲルス、ショーペンハウアー、ニーチェ、ワーグナー、ヤスパース、ハイデガー、etc. 彼らの事績と半生を振り返りながら、ドイツという国家の歩んだ道を考えてみたい。 歴史 近代ドイツ 2019年07月30日 Posted by kirisawa 戻る
ルター(Martin Luther1483.11.10.-1546.2.18.)は係る情勢下で育ち、ローマの横暴に明らかに反発を覚えた。改革者は神の子の声を聖書から聞き取り、ドイツを軛(クビキ)から解き放ち、教会を腐敗と独善の泥沼から引き戻して公明正大なキリスト教の原点に復帰させるべく行動を開始した。
丁度その頃、ローマは、欺瞞に満ちた封建社会の特権階級である自身の商業活動だけが例外とされていることを逆手にとって、これまで散々寄進と称して強制納入させてきたのと同じ手口で、免罪符という空手形をドイツ領内の司教たちの私腹を肥やす手段として、曳いては、ローマ自身の収入とするべく、領邦内の全領民に購入させようと領主に圧力をかけた。しかし、時節が悪かった。一部領主層は激怒した。これは、困窮状態にある領民の反発を買う愚策であり、そんなことをすれば、領主といえども手痛い反撃を食いかねない。押し付けられる側は、結束した。
それでは、ルターはどうしたか、元々、反ローマの反逆者である。彼は、公然と教会の腐敗と堕落を非難し、ラテン語で書かれた聖書Bibleの破棄を主張し、ドイツではドイツ語で書かれた聖書を読むべし、と諭した。ドイツ人がドイツ語で聖書を読むのは当然で、それでこそ初めて内容を理解できる。ルターの改革が成就したのは、こうした的を射た民族主義的対応もさることながら、その根幹に、信仰を善意の糧とする(信仰唯一)と言う、基本的態度が明確に打ち出されており、宗教者として、最も大切な、判断の曖昧さというものがないことがあげられる。尚、プロテスタントの宗教指導者は妻帯しており、ルターがその先駆である。しかし、ユダヤ人については、ルターもその時代人と同じく、偏見の持ち主であり差別感情を持っていた。
ルターが破門されるまで、若干の日時と討議があったが、結局、審問の結果は決まっていた、と言ってよい。この結果、ドイツ領邦は分裂したが、勝者は明らかであり、後年、ルター自身もルター派を始めとするプロテスタント、エヴァンゲリシュ(福音派)も、物理的にも経済的にも事実上、ローマ・カトリックの支配から分離し、独自の道を歩んだ。ルターの改革はヨーロッパ全域へと広がり、ローマから解放された各地のコミュニティーでは、勤労・就職の自由が保障され、それは利益追求の自由、幸福追求の自由を求める民衆の声となって、時代を動かしていくことになる。
ルターは、形骸化し、腐敗した律法の殻を破り、信仰の自由を取り戻したが、又、秩序を回復して、律法を新たにしようという動きも起きてくる。その役目は、カルヴァン(Jean Calvin 1509.7.10.-1564.5.27.)によって行われた。戒律は、新たに整理され、広められた。その精神は、次の道徳律に集約される。即ち、禁欲・勤勉・実直。生きていく上で、最も大切にしなければならないこと。以後、エヴァンゲリシュ(福音派)を中心にアメリカの開拓時代をリードする思潮になっていく。一方、ヨーロッパでは、20世紀、マックス・ウェーバー(Max Weber 1864.4.21.-1920.6.14.)によって、資本主義発展の精神的支柱がこのカルヴィニズムに由来していたことが明示される。
プロテスタント・コミュニティーの成立は、資本市場においては、マーケットの再編・再々編を意味し、それは先ず、旧世界に波及した。又、王権国家間の市場争奪に伴う戦争は、彼らの商業活動拠点の世界的拡張に寄与する結果となった。プロテスタント(新教徒)は国民主義nationalismと資本主義capitalismを結び付け、各国に国民国家を建国し、ついては、自由貿易を推進し、植民地の獲得に懸命になり、世界市場の分割という帝国主義の最終段階に至る。彼らの目指した資本主義は、内には過重労働、外には対外戦争、という制御の利かない初歩の経済体制であった。
それから今日まで、ドイツ人の叡智は、このめくるめく変遷する国家群の骨格を成す理念・思想を何らかの直観により、歴史に先駆けて感知し、哲学的に、あるいは宗教的に、啓示でもあるかのように提示し、自国の体制に組み入れて、その結果を問うてきたのである。ルター、ロスチャイルド、カント、ヘーゲル、フォイエルバッハ、マルクス、エンゲルス、ショーペンハウアー、ニーチェ、ワーグナー、ヤスパース、ハイデガー、etc. 彼らの事績と半生を振り返りながら、ドイツという国家の歩んだ道を考えてみたい。