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前節で,あまりにも楽観的というか,非現実的なことを書いたので,「あんたは阿呆か!」というお褒めの言葉を多数いただきましたのでお答えいたします。ボクはホントに阿呆なのです。もう,人生も折り返し地点を過ぎ,何を言っても始まらない,という現実を何度も体験してきました。ここらで,非常識にも,「何を言っても,お許しいただけるだろう。」という,非現実的な見方に味方してくれる方々,あるいは,同調synchroして頂ける方々のみに,暫(シバ)し,お付き合いをお願いして,お話を続けさせていただきます。
近頃は“分断”という言葉に象徴される一元的傾向を表す言葉が世界的に、凄く罷(マカ)り通っている節があり,非常に懸念して居るところであります。なぜ,“分断“が,一元的か,と申しますと,それはその通り,一元的全体集合を念頭に語られる場合が多い,という現実から来るわけで,そこには立場の違いであるとか,主義主張が異なるとか,いろいろ諸般の事情が散見されるのですが,水と油が違うように,混じり合う要素が全く無いものもあるわけです。従って,互いに溝を埋めようとする努力を惜しまないとしても,埋められる溝ばかりとは,限りません。
昔は,“断絶“という,遠慮会釈もない言葉があり,特に世代間においては,そうなるのが,むしろ当然,といったところもありました。正論はどちらか,ということが真剣に議論されたものでしたが,この現在の”分断“に関して言えば,何にでも妥協的でなければならないようなバイアスが働いているように感じるのは,ボクだけではない,と思います。この傾向は分離主義よりは融合主義が好き,といった,みんな仲良し思想に還元される,曖昧ではっきりしない多数優先の考え方が形を変えて浸透している証左でもあります。今は民主主義の世の中なんだから多数決に従うのが当然,という意見はごもっともですが,多数が正しいとばかりは限りません。それは20世紀に体験した歴史的事実からも分かります。そこには,否定しがたい国家という社会機構が存在し,法治主義によって統治をおこなっていたのですが,多数決による選挙の結果,戦争は防げず,国民は塗炭の苦しみを味わい,物理的にも,精神的にも,大きな傷を受けて困窮したことを忘却できるわけがありません。真実が二つある,ということが無いように,是とするもの,非とするものという区別は厳然と存在します。何が正しく何が悪であるか,という議論には結論が必要であり,その結果を受け入れる基盤が損なわれれば,社会は崩壊してしまうでしょう。ただ,沈黙して,多数による決定に従うだけが民主主義ではありません。国家が道を誤らぬように,最後は自分の判断で行動できる人間を作ることこそ,民主主義の根幹にある哲学であると信じ,締め括(クク)らせて頂きます。