500マイル 第2章 迷宮の十字路 labyrinth crossroad


第2章 迷宮の十字路 labyrinth crossroad

「なぜ,ボクの人生にまで,箍(タガ)を嵌(ハ)めようとするのか!」フランツ(Franz Kafka 1883.7.3.-1924.6.3.)の怒りは,その父親に向けられていた。その父の育った村には支配者が暮らしたと思しき小さな城があり,その土地に閉じ込められた生活の匂いが,まだ残っているかのようだった。カフカにとって,その父ヘルマン(Hermann Kafka 1852.9.14.-1931.6.6.)は越えることのできない絶対的実存であり,幼い頃から,彼の人生あっての自分なのだ,ということは否が応にも認めるしかなかった。カフカの幼い頃からの日常は,その実家の周辺の狭小な世界,プラハの一隅である旧市街広場に隣接する地区以外に無かった。小説を書くようになってからは,夜な夜な,扁平の石畳の裏町を散歩と称して徘徊し,夜風に吹かれるままに時を過ごし,帰宅する毎日が続いていた。

彼の初期の作品である「失踪者(旧題;アメリカ)」は,明らかに同郷のチェコ人,ドヴォルザーク(Antonin Leopold Dvorak 1841.9.8.-1904.5.1.)のアメリカでの1893年にカーネギーホールで初演された交響曲第9番「新世界から」の成功に触発されたものに違いない。当時,ボヘミア(チェコ)からアメリカへの移民はピークを迎えつつあり,1891年春の,ドヴォルザークのニューヨーク音楽院院長招請も,その象徴的出来事の一つだった。彼は渡米直後から,9番の作曲を始め,ほぼ半年で初演に漕ぎ着けた。俗に,故郷のボヘミア音楽とゴスペルや先住民の音楽からインスピレーションを得た,などと言われるが,ドヴォルザーク自身は,新世界に来た歓びと印象とを率直に表現して曲にしたものである,とコメントしているので,定説は何者かのでっち上げだった可能性が,かなりある。とにかく,同郷の音楽家が外国で華々しい活躍を見せたことは,カフカならずも,チェコの人々にとって本当に誇り高く,喜ばしいものだったに違いない。しかし,カフカの描く「失踪者」の主人公は,結局,帰る場所もなく,アメリカ社会にも馴染(ナジ)めず,行き場を失い,漂流し続ける。やがて,作者のペンも途中で途切れ,最初の希望に満ちていたはずの小説は,未完のまま終わった。

フェリーツェ・バウアー(Felice Bauer 1887.11.18.-1960.10.15.)は,ベルリンの口述録音機製作会社の業務代理人を務める25歳の,今で言うキャリアである。1912年8月,彼女はプラハに出張した。そのとき,29歳になる一人の奇妙な作家志望の男に出会う。その日の日記にフランツは,「その時ボクは揺るぎない確信をもって,裁きを受け入れたのだ。」と書き記した。それから1カ月たった頃,彼はフェリーツェに,「もう,ボクのことは記憶にないかもしれませんが。」と認(シタタ)めた手紙を出す。10月,返信があった。女は,有能で男に退けを取らない傑物であり,彼の闇雲の求愛に戸惑ったが,次第に,フランツの独特の文体の虜になっていった。しかし,フランツは,ある手紙の中で,「筆記用具とランプをもって,家族と離れた地下室に住み,運ばれてきた食事を食べているか,何か書いているかの生活です。」という自分を排除する家族との,昏(クラ)く,重苦しい孤立した病的な暮らしぶりを告白している。二人の文通は5年間続き,フランツは500通もの手紙を送り続け,二度求婚し,二度とも自ら撤回した。「彼女がいなければ生きていけないが,彼女と共に生きていくこともできない。」と,女から拒否されることを最も恐れ,二度目の撤回の理由に結核に感染したことを挙げている。父ヘルマンは,そんな何かにいつも怯えている息子に幻滅していた。父にとってみれば,長身痩躯で実直な息子が,勤めの他に,何故,小説などに執着するのか,全く分からなかった。この父を強圧的だったと,ドイツ文学者は指摘する者が多いが,そうは思わない。寧ろ普通の家庭に生まれた天才の悲劇と言うものではなかったか,と思う。彼が家庭的でなかったのは,事実で,結婚したとしても,人並みの生活ができたか,どうか,は,かなり怪しい。神経質で過敏なフランツに惹かれた女は,全ての手紙を,後生大事に,一生持ち続け,異常な,あるいは,真剣であって,偽りのない心の持ち主を忘れることは無かった。

長編「城」は,その父の陰鬱な屈折した一面をモチーフとした不条理の物語である。カフカの父ヘルマンは極貧のユダヤ人だった。家業は肉屋だったという。その村はオセクと言った。プラハの南方100㎞の寒村である。ヘルマンは14歳になると,裁縫道具の行商を始め,それを足掛かりにプラハに装身具専門店「カフカ商会」をオープンし,一家の土台を築いた苦労人だった。カフカの家庭で父の一面の鬱屈した感情に触れることはタブーだった。その父の生家があった荒廃した村こそが,「城」の原イメージであり,やがて書き続けることになる,「審判」の堂々巡りの原点なのだった。つまり,カフカの全作品は,その大部分を占めるのが,階層社会を描きつつ,オイディプス・コンプレックスに苛まれる自己の脱出劇であり,その不毛な自己対話に集約される不条理劇なのだった。

フランツはその後,保養地で知り合った貧しいユダヤ人の靴屋の娘,ユーリエ・ボリツェク,チェコ人のジャーナリスト,ミレナ・イェンスカヤ,19歳年下だったユダヤ人,ドーラ・ディマントらと交際したが,結局,それらの恋は実ることは無かった。彼は,父に対する警戒心を緩めることは無かった。ただ暗い地下に籠り,非情な文筆に励んだ。14年勤めた保険の仕事を辞め,その後,細やかな恩給を当てに2年間を過ごし,40歳で息を引き取るまで孤独な戦いは続いた。父は,一生,理解できなかった息子の死について,語る言葉も無く,6年後,急逝する。

「城」はその父の故郷の風景の中に吸い込まれてしまった,カフカ自身の物語である。そこは,カフカにとって,打ち捨てられた記憶の残骸の一部である。その主人公,測量技師であるKは,城に雇われて,村に入ったものの,城からは何のコミットメントもなく,ただ日々が過ぎていくだけで,一向に仕事の話は来ない。そこでKは,城に乗り込もうとするのだが,どこまで行ってもその城に通じる道は無く,途方に暮れる。Kは,城の役人たちが出入りする酒場で,城の高級官僚の愛人であるフリーダという給仕女と遭遇し,その女と恋に落ちる。フリーダは,抱擁を貪(ムサボ)り,運命ででもあるかのようにKに付き従うが,仲違(ナカタガ)いの末,別れてしまう。城は何時までも遠く,Kは焦燥する。そして,そこにいる自分自身にも疑念を生じるようになる。「審判」でも披瀝される他者によって左右され続け,翻弄される主人公こそ,カフカ自身であって,その強迫観念の裏には,いつも父親をはじめとする家族との心理的軋轢(アツレキ)があった。カフカの内心の悲鳴が聞こえてくるようである。カフカは自分自身を冷徹に観察し,その自立を阻む他者との葛藤に立ち向かっては敗れ,立ち向かっては敗れる人生を描くことによって,別の外側の人格に救いを求めていたのかもしれない。彼の文学世界には,常に懐疑的な姿勢が見られ,愛の渇望が表現されているにも関わらず,相手の鏡に自分がどう映っているのかを疑うあまり,真実の愛に気づいても,応諾する勇気が欠けていた。
2021年08月27日
Posted by kirisawa
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