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そうした騒動の最中,糸居は,三人との接触に成功していた。と言うか,フォークルの方から,表敬してきたのである。三人と糸居は直ぐ意気投合し,ビートルズやボブ・ディランの話で盛り上がった。特に,加藤は糸居の“音楽歴”の際立った知識に敬服し,北山はその語りのテクニックに惚(ホ)れ込んでいた。糸居にとって,三人の“十字軍”は彼の描いていた新時代を切り開く心強い同盟軍であり,今当(マサ)に旅立ちの時を迎えた英雄達であった。フォークルにとっても糸居は最も力強い後援者であり,話の分かる先達に違いなかった。
「オールナイト・ニッポン」はすっかりフォークル色に染まり,彼らの曲が掛からない日はなかった。フォークルの第二弾は加藤が三時間で作曲し,歌詞のイメージを作った,「悲しくてやりきれない」で,これも上々の売れ行きとなり,彼らの並々ならぬ底力に比肩する存在のいないことを示した。次いで,加藤・北山は「ザ・ズートルビー」と言う荒唐無稽の四人組パロディー・バンドを結成し,ベートーヴェンの「田園」を取り込んだシングル「水虫の唄」を世に出すなど,気を吐き,イムジン河事件の逆風にもめげないヴァイタリティ―に周囲を驚かせた。(四人目に指名されたのは,アルバムのイラストを担当した広野勝である。)一方,糸居は7月に発売が決まったフォークルの初のアルバム「紀元貮仟年」の総特集を企画し,予定通り「オールナイト・ニッポン」の第二部で,全曲紹介を行うなど,援護射撃に徹した。
糸居は,その人生の中で「これほど興奮し,これほど充実することは無かった。」と後日語っていたという。時の洋楽の音楽評論家達も挙(コゾ)って,三人を“日本のビートルズ“と呼ぶなど,明らかに判官贔屓(ホウガンビイキ)と思われる表現で,彼らを擁護し,引き立てていたことは事実であるが,それほどフォークルというグループは,既成の音楽については異端児であり,業界の革命的存在となっていたのだった。しかし,フォークルの終わりは唐突にやって来る。新結成の時,北山は1年だけの限定復帰という条件で実家の許しを貰(モラ)っていたため,年末には解散しなくてはならないという制約があったのだ。