列伝series phase 2 糸居五郎(2)


何か徒(タダ)ならぬ気配をその曲は発散している。糸居にとって,関西の深夜放送,ラジオ関西の番組「電話リクエスト」を席巻しているこの曲の作り手たちは如何なる面々か,何が関西で起こっているのか,これは重大な事態だ,と彼は見た。東京のレコ―ド会社を釘付けにした学生グループを突き止めようと,誰もが注目し,そのテープの早回しで歌う人物を探し回ったのは,1967年11月の事である。そして,最終的にレコード契約の権利を得た東芝レコードの発表に現れたデコボコ三人組の若者達と正体が分かったのは,暮れも押し詰まった12月半ばの事だった。

「帰ってきたヨッパライ」。全く人を食ったようなハチャメチャな寓話というか,説話というか,何しろ,天国や神様を茶化して笑う内容も然(サ)ることながら,エンディングの細かい音楽の悪戯(イタズラ)部分も,木魚に読経,ビートルズの「ハード・デイズ・ナイト」,果ては,ベートーヴェンの「エリーゼのために」,と,素人が作ったとは思えない小技(コワザ)を展開させるテクニック,聞く方も驚かされる出来栄えなのだった。これこそ,天才加藤和彦(1947.3.21.-2009.10.16.)・御意見番北山修(1946.6.19.)を中心に活躍した京都のフォーク・グループ,フォーク・クルセダーズの卒業自費アルバム「ハレンチ」の1曲である。

この二人に端田宜彦(1945.1.9.-2017.12.2.)を加えて再結成されたのが上述の新フォーク・クルセダーズ,短く言ってフォークルということになる。端田が加わった経緯(イキサツ)は,加藤の回想によれば,端田は同じ京都の有力グループ,ドウディ・ランプラーズで鳴らしたリーダー的存在,年齢的にも上で,ユーモアのセンスが際立っていたということで,加藤が端田の家に押しかけ勧誘してグループに参加することになったと言う。

12月25日,「帰ってきたヨッパライ」発売。飛ぶような売れ行きに,当人たちも驚き,年が明ければ,TVの出演依頼や雑誌のインタヴューが目白押し,三人は忽ち日本中の人気者となり,映画化の話も持ち込まれ,北山の提案で監督に大島渚(1932.3.31.-2013.1.15.)を引っ張り出す。この映画は民族分断の悲劇を唄うシングル第2弾「イムジン河」の旋律に乗せ,話が進展するドキュメント・タッチの作品となり,話題を攫(サラ)ったが,内容の難解さから観客動員数は伸び悩んだ。糸居は,彼ら三人を「オールナイト・ニッポン」の後半の第二部に特別ゲストとして招き,独占放送しようとしていた。
2021年07月24日
Posted by kirisawa
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