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男女の、あるいは性の有り様を、子どもたちは、ずっと幼いころから意識しているのではないだろうか?大人が想像するよりも早く、子どもは無自覚のうちに、両性(両親)への観察を始めている。
子どもは、自分の将来を考えるとき、多くは、その時代時代の風潮や環境に順応して、常に安全パイを選択する。それは、どの時代でも変わらない。例えば、20世紀の前半の日本では、男子は、一兵卒となって国家のために戦うことが要求されており、子どもたちはその運命に忠実に従っていったし、後半は、経済成長と財政安定に資する人材教育の下、一般サラリーマンとして、核家族の長となり、良き家庭の父親として、その役割を演じるべく成長していった。女子は全般的に夢見がちであったにも関わらず、主に、子を産み育てることを前提とした家庭労働者に甘んじる教育を受け、賃金労働者の道を歩む者もあったが、非効率で生産性の低い労働に従事することが多く、一部の優待者を除き、所得は安定せず、職業的成功を修めることは容易でなかった。要するに、大多数の子どもにとって、将来の夢は、その時代の大人の安定した現秩序に寄りかかった、自分の育った家庭に釣り合う、概ね現実的な、小じんまりとした小さな型に嵌(ハ)められた、何処にでもいる普通の生活者になることであったのであり、それが大衆社会に生きる子どもたちを待ち受けている未来だったのである。
こうした小幸福に憧れ、それを享受したスモール・ワールド(小さな世界)に育った子どもたちの実態を覗いてみると、細(ササ)やかで穏やかな暮らしがある一方、大人たちの詰まらぬ掏(ス)れ違いや誤解から発生する諍(イサカ)い、また、両性間(男女)のコミュニケーション・ギャップから生じる気不味(キマズ)さ・気兼ねにも左右される、性の違いから来る両親の性格・個性の変容と子どもに対する態度の変転、加えて、それぞれの互いに対する非難・中傷・横暴・愚痴などの他者攻撃が、大小に寄らず、日常茶飯事であったりする。これらの小事は、当たり前のようなことであるけれども、実は、いたずらに、子どもの気持ちを惑わせ、混乱せしめる、大人の未熟さと不勉強を露呈した情けない、恥ずべき行為であり、子どもたちは、それを見ているのだ。子どもたちは物理的にも、心理的にも、敏感に察知し、痛みを感じ、気にかけ、悩み、自分たちの知っている大人の有体の姿として認識するのである。意味を理解することは、凡そできなくても、その醜さは分かるし、悲しむのである。
それは、子どもたちの成長過程に様々な影を落とす。子どもたちは、家庭から離れ、同世代の集団に接点を求めようとする。そこには、新鮮だが、未熟な社会関係に翻弄される、満たされざる未来が待っているのであり、そこから先は、自分たちの親、大人たちの歩んだ道を、再び、自分が歩くことになるのだ、という一抹の不安が頭を過(ヨギ)る。そして、それは、現実になってしまうと、思い至ることになるのかもしれない。しかし、それでは同道巡りだ。子どもたちは考えなければならない。同じ轍(テツ)を踏んではならない。過ちは繰り返さないのだ。心から、安らげる家庭とは、どういうものか?諍いをなくすにはどうすればいいのか?互いに労(イタワ)り、想い合って、男女間の猜疑(サイギ)心や蟠(ワダカマ)りなど、取り払ってしまおう!嫉妬や軽蔑を家庭から追い出し、子どもたちの未来のために、本当の愛の巣を作らなければならない。愛し合おう。そういうことしか、大人は言えない。子どもたちへ贈る言葉は、それしか、出てこない。