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It’s strange to say it myself, but I’m also strange now.
円喜怒(マルキド)・砂土・哀楽でございます。この度は、大女優と言われる、某ヨシコ様に尽きまして、少々お耳汚しのお時間を賜りたく、謹んで、御願い奉ります。
さて、ヨシコ様というと、既に老境、にも拘らず、白金張りの品の良さ、育ちの良さが美貌に表れ、昭和美人の生き残り、として、既に、この世を旅立たれた多くの美女美形の長幼様々な女優陣の中にあっても、その気高さ、誉高さに肩を並べ得るお方はおりません。それほどの、絶世の兼備人でありながら、高ぶる心無く、慈愛に満ち、禍福は己にありと言えども、何れの時も動じず、家族の個の独立を守り、見事なる生き様にて、今日の平穏無事の日々に至りたりし人生は誇りある、美しき人生であった、と言えるでしょう。
それにしても、大女優ヨシコ様は、その絶頂、1986年頃、順風満帆の折、どのように語っておられたか、というと、「私の人生訓はウサギとカメなの。自分の一生の生き方は、あのカメだと思うのね。子どものころ、初めてこのお話を聞いてカメに感動して以来、私はカメなの。あの人(ウサギ)に勝って、あの山に登って、旗を一杯取ろうって思わないのね。死ぬまでの間、休まず、今、向かってる山に登って、目指す旗を一本、取り終えた時、命も尽きればって、思うのね。(笑)」チベットの五体投地の修行を続けていく信仰者のように、この女優は、人生の旅の長きを早くに悟った。そして、生活者としても、職業演劇人としても、自分を根気強い、何があっても諦めない長距離ランナーに位置付け、自分のペースを守り、走り続けてきたのである。
山は、今、何合目?「まだまだだわ。女優でやっていこうと思ったのは、まだ数年前だし、決心したのは、下の子の出産の後なんだから。下の子を産んだのが、昭和五十四年(1979年)の12月の末で、それから2カ月もしないで稽古に入って、3月、「雪国」の舞台に立ったんですね。体が本調子になる前の舞台ですから、心身共に苦しかった。死に物狂いでやりましたよ。その舞台が、世間から認められたんです。その時ふと、思ったのは、子どもを二人産んだって、何も変わっちゃいないんだ。本当に女優としてやっていくことができるかもしれない。」
その道のりは長かったのですが、ともかくも、死に際の役をやるところまで来てしまいました。色々なことが、家族にも有り、夫にも有り、その都度、涙する場面もありましたが、不死鳥の如く、蘇り、不屈の魂、本当の意味での芯の強さを見せつけて、苦難を乗り越え、今日の安寧に到達したのです。「そもそもは、中学の時に、友達に誘われて、劇団に入ったことなんだけど、それをもっと遡ると、小学校の学芸会。ウサギのダンスに出たかった。でも、それはダメだった。中学に入ったら、絶対舞台に上がってやる。そこが本当の原点。ムキになる訳でもないけど、そのくせ、いいじゃないの、そんなこと、とも言わない。自分に誠実に一つの事をやっていく。そういうこと。ほら、善人でしょ。」ウサギのダンスに、カメは出られませんよね。何処までも、縁があるんですね。
本日は生存する現役の昭和の大女優、ヨシコ様のプロフィール、お人柄の一断面について、アナログ資料を参考に、貴重なお時間を頂戴いたしました。有難うございました。お相手は、円喜怒・砂土・哀楽でお送りいたしました。
ヨシコ様の芸名は割愛させていただきます。1941年10月8日、大阪出身。女子美大付属高校卒。本名、高橋嘉子。79歳。