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アルベール・カミュ(Albert Camus 1913.11.7.-1960.1.4.)の随筆に「シーシュポスの神話(Le Mythe de Sisyphe)」がある。シーシュポスSisyphos(Sisyphus)はゼウスZeusからある山の山頂へ巨大な岩を押し上げるよう命じられており、一日がかりで山頂へ押し上げるのであるが、あろうことか、岩は頂上に着く寸前に転がり落ちて、元の麓へと逆戻るという次第。これが毎日繰り返される。人生の労苦は報われず、努力は徒労に終わるという不条理。
即ち、これでは、人生に何の希望も見い出せない。自分の意思で未来を決定できなければ、未来永劫、不条理の呪縛から、自分を救い出せないからだ。自分の力で切り開かなければ、未来を手にすることは出来ない。呪縛から、自らを解き放つため、何をどうするか、それが、まず、第一の問題だ。シーシュポスよ、よく聞け、お前は、先ず、岩から離れよ。その仕事を捨てるのだ。それで、何が起こるか、を見ることもない。どんなことになろうと自分一人で立ち向かい、戦い、乗り越えていくのだ。死が待っているかもしれないが、死ぬことは無い。何と言われようと、恥をかこうと、情けなかろうと、泣きわめこうと、生き抜いて戦い続け、何としても、未来を手に入れるのだ。それが実存というものだ。それでなければ、存在する意味は無いぞ。
カミュは実存主義者ではない。コミュニストでもない。一種の“覚醒者”と言ってよい良識の持ち主で、個人主義者と言えば分類しやすい。彼は、様々な価値を認めつつ、内心の自由だけは不可侵の領域であると主張した。そして、自分の未来は自分の手から離さないことも言明した。彼は公然と自由を宣言したため、集団主義・階級主義者から攻撃された。彼は、国家を攻撃したりはしなかったが、国家も党派も、彼の言動を危険視し、その動向を注視していた。彼は、道徳的にも、反抗的人間と位置付けられ、社会から隔離されそうになっていた。
1957年、思いがけなく、ノーベル文学賞を授与されたカミュだったが、彼がフランス国内の出身ではなく、植民地アルジェリアの生まれという偏見から、反応は至って冷ややかなものだった。それでも、彼の名声に陰りは無かった。演劇も評論も、彼の作品は評判だった。自伝的小説の刊行も間近に迫った新年、1960年1月、カミュは友人ミシェル・ガリマール運転の乗用車で幹線道路を南に向かっていた。そのドライヴが最後のドライヴとなった。カミュは、ほぼ即死だった。46歳。