“神々”の系譜 その1


Jimi Hendrix(1942.11.27.-1970.9.18.変死)は黒人とnativeのquarterという、当時としても珍しい生い立ちで、不遇であった面もあったが、持って生まれた天性のdesign senseによって、rock musicのelectric guitar playerの頂点へと上り詰めた奇才(鬼才)である。そのplayは、全く前人未踏の開拓者魂によって貫かれた空前絶後のそれであって、音楽史上、彼に匹敵するguitaristは出現しないだろう、と言われている。彼は、左利きだったので、guitarを逆さまに、neckを右手で持った、などと言われるが、署名は普通に右手で行っており、この話に根拠はない。寧(ムシ)ろ、何らかの理由、例えば、弦を強く抑える、あるいは、より素早くslideさせる、乃至(ナイシ)は、多用したeffectorとの調整など、彼独自の奏法を作り上げていく上で、そうなったのかもしれず、利き手の問題ではなかったような気がする。また、performanceについても種々、取り沙汰されるJimiだが、guitarを叩きつけたり、火を付けたりすることも、彼にとっては、単なるexciting pose以上のものではなく、それ自体を目的としたわけでもない。彼は自分の感性と意思の赴くままに、演奏を一つのshort storyとして完結させるstage artを目指していたのであり、それ以上でも、それ以下でもなかったが、魂の解放者、と呼ぶに相応(フサワ)しい芸術家であったことに疑問の余地はない。

彼の音楽上の遍歴は、自然、幼児期を過ごした居留地のtraditionalなnative musicから始まって、radio、recordなどからの雑多な音楽の吸収・模倣を経て、独学で身に付けたblues、R&Bなどのguitar play techniqueへと発展し、その後は、お決まりのamateur band結成へと進んだが、1961年5月、自動車窃盗の疑いで逮捕され、投獄を避けるため、陸軍に入隊したことで、一つの転機を迎えた。Americaは、まだ本格的にVietnamに介入しておらず、Jimiは、ただ、配属された空挺師団のcampで過ごし、戦地に行く心配もなく、clubhouseで自ら演奏を楽しむこともあった。しかし、その生活態度の悪さは隠しきれず、規律違反もあって、間もなく、除隊させられてしまう。

軍隊からそっぽを向かれてしまったJimiの進むべき道は、音楽以外に無かったのは、当然であって、主にR&B系のmusicianのback bandのmemberとしてplayして、生計を立てる日々を送ったという。1966年9月、その超人的playの噂を聞き付けた音楽関係者の紹介により渡英、10月、「The Jimi Hendrix Experience(ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス;ジミ・ヘンドリックス・体験の意。)」を結成して活動を開始した。イギリスでは、club sceneで活躍、最初のsingleもchart4位と好調な滑り出しで、一躍、rockのstardomにのし上がった。Jimiの超絶技巧とfuzzを多用する演奏は、過剰なperformanceも手伝って、一般の観客だけでなく、playerを含む音楽関係者やマスコミ関係者をも魅き付け、聞く者を別天地へと誘(イザナ)った。痺(シビ)れるようなbluesでありながら、時にbrokenに、あるいはshockingなphraseを展開するそのplay styleは全く斬新であり、他の追随を許さなかった。

伝説的playerという肩書は、むしろ、Jimiの名を曇らせた。彼は、天才的なall round playerであって、特定のgenreに捉われないbluesとrockをbaseにしたmusicianなのであった。そして、言うまでもなく、Jimiは、electric guitar playerであり、それと同時に、卓越したsound engineering techniqueの持ち主でもあった。彼は、常に、最新の機材、amp、effectorなどを多用し、自分のteamを率いた。Jimiのbandは、電子工学的技術を背景に、音楽の未来を創造しようとする意欲に燃える野心的なgroupであり、Jimi自身こそが、その先駆的中心人物なのであった。

特に、超人的天才engineer、 Roger Mayerと共同で幾種もの新型effectorを開発し、stageで突然、披露するという神業(カミワザ)をやってのけ、観客の度肝(ドギモ)を抜いたことも、屡々(シバシバ)である。

Jimiの活躍ぶりは、直ぐに、Americaにも知られることとなった。既に、大音響PA systemを導入し、live concertを革命していたJimiは、1967年夏、California、Monterreyに凱旋し、熱狂する聴衆を前に、歴史的な熱演を繰り広げ、圧倒的な支持を得る。以後、Charismaの地位をほしい侭(ママ)にしたJimiは、大西洋を股にかけ、欧米全土のrock sceneに君臨した。しかし、伝説的rock event Wood Stockのトリも務めたJimiだったが、drugが命を縮めることになる。

その後の、managementや権利関係の紆余曲折については、詳述しない。Jimiはrockそのものだったのであり、時代であり、歴史であった。1970年9月18日、彼の、唐突な死(drugによるものではなかったが。)で、全ては終わったかに見えたが、残された音楽は、彼の偉大な功績を物語っている。その音楽は、永遠に輝き続ける。
2020年01月30日
Posted by kirisawa
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