ショートコラムの憂鬱 2020 part 1


 以前、ボクは「残余の沈黙」という他愛もない雑文を書き、つまらぬ屁理屈を並べたのだが、今また、へそ曲がりの心が高じて、ひねくれ、何かしら、企み、又、愚にもつかぬことを書こうとしている。今日の気分は、と言うと、お茶らけていて、どうでもいい、といった感じである。しかし、実をいうと、風邪で、ずっと調子が悪く、臥せっていた。漸く、起き上がれたので、少し、頭に乗っているのだ。バカだな。こうして、なにもかも、白状してしまうと、十分な準備もないことも明らかである。これでは、ろくなものも書けない。

 近頃の世相は嫌である。何か、と言えば、取り合い、奪い合い、足元を見ては、ののしり合う光景ばかりである。金銭のやり取りは、今に始まったことでは無いにしても、その浅ましさ、節操の無さに目を覆う他ない。早く、過ぎてほしいとしか、言いようがない。

 眼を覆うばかりの沈黙。如何にも、言うべき言葉もない。もう、ボクは、自らの言葉を閉ざす。嫌である。あれこれと、言葉にすること自体、虚しいではないか。自殺か、自滅か、それは知らないが、要するに、価値がない。価値とは、それだけで、烏滸(オコ)がましいが、今、眼前の世界を言い表す言葉が、無い。即ち、価値が、無い。醜悪なる人々の心に、値する価値は、無い。愛すべき、拠り所が、あるべき、だ。そこに、安らげる、愛さるべき拠り所が、無くてはならぬ。価値は、あるべき、だ。沈黙の中に、価値は、まだ、有る、きっと。
2020年01月29日
Posted by kirisawa
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