ヤスパース 限界状況 ;近代ドイツ 16


ヤスパース 限界状況;近代ドイツ 16

カール・ヤスパース(Karl Theodor Jaspers 1883.2.23.-1969.2.26.)は,ニーダーザクセン州オルデンブルクに生まれた。父は銀行勤めとも,法曹界の出身とも言われる。ヤスパースは,早くから,哲学に目覚め,古典語ギムナジウムから1901年ハイデルベルク大学に入学,次いでミュンヘン大学に移り,法学を学んだ後,当時,急速に進展しだした精神分析や心理学を学ぶため,1902年,ベルリン大学・ゲッティンゲン大学・ハイデルベルク大学に編入学した。1909年ハイデルベルク大学で医学博士号を取得し,1913年「精神病理学総論」を出版し,1922年同大哲学部教授となった。1931年「現代の精神的状況」1932年「哲学」を公刊し,哲学に精神分析の手法を導入して独自の有神論実存主義を確立した。又,そして,妻ゲルトルートがユダヤ人だったため,ナチスの収容所送致の対象となり,一時,自宅軟禁状態に置かれたが,1945年3月に連合軍のハイデルベルク解放により,辛うじて,危難を免れた。この体験はヤスパースに限界状況を身をもって経験させる結果となった。

ヤスパースの哲学は,キェルケゴールの単独者の主体性にこそ真理がある。という実存の自覚に立脚するものである。それは,自己の存在を否定する限界状況に際し,自分自身の鏡である他者とのコミュニケーションや絶対的意識である超越者からの啓示による実存の覚醒を表明する。ヤスパース夫妻には,確かに極限状況に追い込まれても,超越者の存在を確信することで生まれた奇跡的偶然の産物である恐怖からの解放という体験があり,それを予定調和的必然と捉えるなら,それは何らかの超越者の意思であったかもしれない。しかし,それは,近代科学の実証性と矛盾する考えであり,彼自身もプロヴィデンスの眼を信じることは無かったであろう。

紀元前800年頃から紀元前300年ごろのほぼ500年間は人類の哲学・宗教が突如として開花した時期で,ヤスパースはこの時代を「軸の時代」と呼び,その思索の時代に注目し,その起源的発展を以下のように解説した。インドにおけるウパニシャッド,シッダルータの仏教,あるいはジャイナ教の興隆が世界史に与えたインパクトと同様,ギリシャにおけるソクラテス,プラトン,アリストテレスらの出現は超越者により不可避的に準備された歴史の帰結であり,始まりであり,それは,中国の諸子百家にもペルシャのゾロアスター教にも,パレスティナのイザヤ,エレミヤにも通じる人類の覚醒の時代であり,全ての宗教・哲学は,この時代を起源とする。果して,ヤスパースの主張が的を射たものであるかは,疑義があるところであるが,歴史的事実として承認すべきかもしれない。それはこの二十世紀からの今日に至る機械や電脳の発達も推して知るべしということかもしれないから。

ヤスパースの思考実験には超越者の何らかの意思が反映している,という感覚が置き忘れられた神の現実への介入という前近代的テーマが眠っており,そこに人類の驕(オゴ)りがあるという原罪の無意識が作用している,と考えた方が良いのかもしれない。人間は神を失って初めて孤独というものを知ったのである。つまり,独り立ちの段階まできたのだ。しかし,これからもヒトは超越者幻想を捨てきれないだろう。ヒトが群れ社会である以上,それは消滅することは無いのだ。ヒトは社会的な仮面を放棄することは出来ないし,投企的側面も捨て去ることは出来ない。ただ,ヒトはヒトを愛し,愛されることを望む。それだけがヒト社会の救いなのだ。愛のない救済は無い。

ヤスパースの視た世界は悲喜こもごものヒトの醜い闘争と弾圧の社会であった。疑心暗鬼の中でも超越者の絶対的意思を信じ,意識することによって限界状況を脱却した経験は彼に生きる意志を与えた。それは信仰の勝利だった。
2022年08月04日
Posted by kirisawa
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