Melpotemeの渇き 1章


Melponemeの渇き 1章
 
ファウスト登場。Faust。正直者の遍歴。Honesty's itinerary。

渇きとは,何時の時代にもある渇望のことである。
ボクたちは,誕生と同時に,知的欲求という余り有り難くも無い,無い物強請(ネダ)りのDNAを宿して生まれ,知への渇望に振り回されて生きてきた。生命の神秘や文明の由縁について,あるいは,人間の叡智について,考えずにはいられない前頭前皮質を持つ,他に類を見ない生命体として,視考体としてこの惑星に,この世界に現出した。そして,ヒトは唯一,火を使う動物として,あるいは知を武器にする動物として生態系の頂点に君臨する。宇宙が無限でないこともボクたちは知った。世界は,ボクたちの前で,生命と宇宙は一体であること,自然と宇宙の成り立ちと生命現象に相関があること,についても,語り始めている。又,一方では,電脳との共存の時代が始まり,公正平等の社会を目指す動きが,若者中心に活発化しており,愛について,自由について,平和について,その実現のポテンシャルは高まり,目の前の紛争は別として,戦争の廃絶も国際的な議題に上ってきている。ボクたちは,今,人類史の分岐点に立ち,怖れず決断しなければならない。ボクたちの歩んできた道は,間違っていなかった。「We shall overcome」。

「Bridge over Troubled water(激流に架かる橋)」(by Paul Simon(1941.10.13.))の時代は歴史の彼方に遠退き,時は既に2022年である。さて,ヒトには,先天的か,後天的かに寄らず,他者に同情したり,労りの気持ちを持つ習性がある。これは,人間同士とは限らない。ヒトの愛情表現としても稀有(ケウ)な一面である。それは地縁血縁の縁故関係でもなく,又,恋愛関係でなくとも生じる弱者救済の感情である。ヒトは集団を主体とする群れ社会に生きる動物であり,事故で負傷したり,疫病にかかった者を脱落者と見做し,そのまま見捨てる場合が多い。それなのに,全体の一部にその個体に同情し,救済の手を差し伸べ,食事の世話をする者が現れる。現存するアフリカの部族社会では,今もそうした道徳律が行われ,年老いた者のために食事を運ばせる風習が残っている。

ヒト社会の閉鎖性について,哲学者のニーチェは較差による妬み,即ち,ルサンチマンが,疎外の主因として挙げられると述べた。一般に,動物の場合でも個体が増えすぎて食物連鎖が崩れると,共食いのような現象が見られることが知られている。これはヒトの場合にも当てはまる。フランス革命やロシア革命が飢餓による食物の不足がその主因であったという歴史的事実があるからである。だからと言って,より小規模の群れで起きる疎外は明らかに異質な者に対する羨望と捉えることは誤っている。それは,少数派,マイノリティーへの差別である。これはルサンチマンでは説明がつかない。弱い者虐めという集団暴行は何処に起因するか,というと,同等と見做せない欠格事由から来るものである。ヒト社会の基本は掟の文化である。法律はそれを明文化したもので,社会協約的意味を持つ。しかし,群れには群れの独自の掟があり,その範疇(ハンチュウ)から締め出された者には集団の保護を与えない,というのが,所謂(イワユル),虐(イジ)めの実態である。

しかし,世の中には心配という言葉がある。心を配るとは,気遣うことであり,他者を窮地から救い出そうとする気持ちのことである。つまりこれは,個々の心の問題なのである。群れの中で少数派のためにはっきり意思表示ができる者は多くないが,それでもその少数派を助けようとする者は必ずいる。差別の基となる暗黙の了解に異議を唱える者も必ずいる。諦めず,自分の良心に聞いてみることだ。そして,弱者の立場に立って行動してみることだ。そうしなければ,人間はただの野獣の群れと何も変わるところはない。それは,勇気ある行動だろう。

この労り・思いやり機構は誰にでも装備されている。簡単に言うと,これには脳と心臓の両方が関わっている。先ず,脳の前頭前皮質が現状を認識し,適切な処置を各運動神経に伝達し,細胞が反応する。脳には,他者に対する感情が醸成され,心臓の鼓動が早まり,体温も若干上昇する。これは恋愛の機構と扁桃体の情動機構がそのまま使用されるので,疑似的な恋愛感情が発生する場合があり,吃音になったり,落涙することもある。従って,ここでは脳と心臓の連係プレイが行われていることが分かる。当然のことながら,脳は様々なホルモンの影響受け,それは思考にも関係し,適切な判断が行われて,他者がトラウマや不安から脱却することを助ける。

では,心とは,何処にあるのだろうか。心とは,何か?それは,ヒトの最も高度に発達した報酬系の機能によって結論される打算無き内在と言ってもいいかもしれない。残念なことにヒトの脳は打算抜きには機能しない。ただ,打算に打算を重ね,より高次の行動を選択し,最良の方法を選択するしかない。時間的な制約がある場合は,それに見合ったことしかできないが,出来ればやってみるだけの価値はある。それによって,自分も少数派の仲間と見做され,窮地に立つかもしれないが,何もしなければ何も変わらない。それが社会を変革する第一歩である。
2022年07月07日
Posted by kirisawa
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