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現在形という未来 the future of the present form
「私たちの越える丘(The Hill We Climb)」アマンダ・ゴーマン(Amanda Gorman 1998.3.7.)
「私たちが分断を終わらせ,未来を手にできるか,どうか,は,私たち自身が,今,抱(カカ)える相違点を克服し,あるいは,一時棚上げして,お互いの違いを,そのまま受け入れることこそが大切である。デモクラシーは時に,衆愚政治の罠に曝(サラ)されることもある。しかし,それでも,デモクラシーは私たちが目指す唯一のゴールであることに変わりはない。もし,私たちが光を見る勇気があれば,光は常にそこにある。」(2021年1月22日)
民主主義は静かな底流となって,ボクたちの未来を流れている。その中には,隠者が居り,魔術師が居り,賢者も愚者も居り,金持ちも居り,貧者も居る。あるいは,そこには王や女王もいるかもしれない。ボクたちは,その流れの中を静かに流れていく同胞であり,共鳴者であり,良き隣人であるかもしれず,互いの関係を気に留めることも無く,共存しているのだ。古き者も新しき者も,互いに混じり合い,恵み合い,富の偏りを糺し,欲に走るではなく,互いを認め合い,共に暮らす,そういう世界であれば,堅苦しくも無く生きていくことができるのではないか。「光」は常にある。
問題は多いが,一朝一夕に肩が付く訳ではなく,一つ一つ,目の前のことから始末していくしかないが,その目の前にある困窮する人々のことは,いつも気にかけておかねばならない。彼らこそ,ボクたちの明日であり,鏡に移ったボクたちの写像であることは否定できない。明日は我が身であるかもしれず,そのためにも,今日の「光」が必要なのだ。思いやり,労(イタワ)り合うことが人を人として成り立たせていることを忘れてはならないのだ。
「光」はある。と彼女は言った。憎しみも妬みも越え,人は人と結びつき,本当の幸福へと「光」はボクたちを導いていく。「光」とは誰しもに内在する愛であり労(イタワ)りである。それは人が生まれながらに持っている同情の感性であり,共生の感情である。人は幸福を分け合い,与え合う存在であり,誰からも卑下されたり,貶(オトシ)められたりすることなく,暮らしていく権利を互いに持っている存在なのだから。「光」はある。希望という絶えることなく未来へと続く,希望という高邁な精神が,「光」がボクたちにはあるのだ。
今詩人は,現在を鑑(カンガ)み,未来を見通す透視の力を以て,世界の魂に呼びかける。道は険しく,遠くても,真の平和が,真の自由が来ることを。