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ボクは相変わらず手前勝手である。人が困るようなことをすぐ言い出してしまう。何かに憑け,皆が嫌がるようなことを平気で言ってしまうのだ。例えば,日本人は過去,しかも,現在に近くない歴史のようなものにしか留意しないし,それに疑問を感じ,現代を客観視できない無責任の系譜みたいなものに触れてしまう。水俣などその典型で,関係者以外話題にしたがらないことなどについても,ボクは触れてしまう。それは国民的恥部に触れることだと分かっていても言ってしまう。日本人には,現実を直視しようとする何かが欠けているように思うのはボクだけかもしれないが,事実を隠蔽する体質がこの日本という国の国民にはあるのだ。そのレスポンスが一つのアイデンティティーであり,自分では判断しない依存体質の結果だともいえる。
その時その時で,センセーショナルな出来事が起きるたびにその時は騒然とするが,それが1年もすると,追跡するマスコミは確実に減る。それはハンセン病患者に対して国が行ってきた態度に象徴される事実誤認の連鎖に示されている。報道とは,やはり,一方的な“売り物”でしかなく,真実の追求とはかけ離れた大衆を先導することによって生み出される,即ち,際物(キワモノ)の錯覚であり,誤解された現象に過ぎない。組織の上層に媚び諂(ヘツラ)う忖度体質もここまでくれば,上等(常套)と言う他ない。つまり,大衆的判断というものは賛成でも,反対でもなく,多数に迎合して自分の責任を回避しようとする曖昧さのエスケープなのである。画して,自由判断という責任ある態度の表明はされず,他律的な大衆迎合という有害無価値な選択に落ち着き,その卑怯で自己防衛に固執する後ろ向きの姿勢は,民主主義とは相容れない情動的な自己保身に帰結する。
ボクたちの社会は代議制民主主義という形態をとっているが,その実体は万人平等をうたった憲法によって保障されているものの,それは錯覚であり,感覚的には議員は素より,一般民衆を含め,精神的麻痺状態の保身体質を覆い隠すための仕組みになっている。自分を自分で欺くことを強要され,その欺瞞体質故に,自分の正しい判断ができず,立場上,平等を意識するが,互恵平等という本当の意味での平等,他者理解・相互扶助の仕組みは稼働していない。多数支配を原則とする以上,清廉潔白・頭脳明晰な指導者の登場を夢想するのも結構だが,実際は自己保身に汲々とするばかりで何の展望も描けない,この体質そのものを改良していくしか道は無い。それには,個々人が今,目の前にある不幸を少しでも緩和する方策を考え,実行していくことである。