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深淵なる沈黙 deep beautiful silence
静穏(セイオン)とは,全てが完結した後に来る平和,といったことを意味する造語である。それは,残念なことにislam教の僕(シモベ)であるカリフやアヤトラたちの言う神Allahへの服従による平和ではない。そもそもislamとは,Allahの前ではすべての人間は平等である,とする教えであり,神ならぬ身の人間の統治を否定したものに過ぎない。それは,キリスト教徒と同じく,最後の審判により,その人間の生前の罪の深さによって不信心な者には罰を,本当の信徒にして善なる者には救いを,約束する教義の宗教である。そして,それ故,善なる者になるためには,邪教を捨て,今生の罪の告白し,改宗すれば,その時から罪は赦され,死後の幸福が約束されるという教えなのである。
セイード・カゼム・シャリアトマダリ(Seyed Kazem Shariatmadari 1905-1986)はイラン北西部アゼルバイジャン地方の中心都市タブリーズ(人口60万人)に生まれた。タブリーズ中央神学校の教授を経て,1948年以降,テヘラン南西約150㎞の聖地コムの中央神学校教授へ移り,その穏健で明瞭な平和主義の教えで人々を教導した。1977年,学生デモ弾圧に抗議,国王M・R・S・パーレヴィ(Mohammad Pahlevi 1919.10.26.-1980.7.27.)を公然と批判,翌1978年1月から同地で始まった反王政運動の先頭に立ち,6月その動きはイラン全土に拡大し,革命的状況に至った。しかし,この騒ぎはパリに亡命していたホメイニ(Ruhollah Khomeini1902.9.24.-1989.6.3.)を中心とするイスラム原理主義者に主導権を握られることになる。10月超党派の反王政統一戦線が形成されると,自由主義者や知識人のシャリアトマダリへの期待は膨らんだが,1979年1月,パーレヴィ追放とホメイニの帰国により,情勢は一変し,革命は土地改革を優先する急進派と,封建的寺院・地主層を中心とする既得権者に依存するホメイニ派に分裂した。
ホメイニは,西欧的自由主義者らの民主的土地改革を拒み,既存の地主や原理主義・反動勢力の利益代弁者となり,自らの宗教的権威主義に基づく政治体制を敷き,イスラム復古革命を宣言して,抵抗する諸勢力を血で血を贖(アガナ)う闘争によって排除し,イスラム法を基軸とする新憲法の制定を国民投票にかけた。12月,シャリアトマダリはこの採択を非難し,投票のボイコットを呼びかけ,革命の危機を訴えたが,宗教テロを怖れる民衆の支持を集めることは出来ず,革命はホメイニの個人崇拝に帰結する結果となった。しかし,シャリアトマダリは,7人の大アヤトラの一人として最後まで,宗教者が直接,政治に関与することに反対し,ホメイニの主張するイスラム神学の最高権威者に国政を委ねる体制を否定した。1982年以降は,コムで軟禁状態に置かれていたが,動静ははっきりしなかった。享年80歳,腎臓癌だった。
神は神々から神へ脱皮し,神は唯一神となり,中世には幽体として人々の上に君臨する絶対神とされたが,ルネッサンスと宗教改革によって,人間との和解が図られ,やがて,相対化され,人々は因循な神から解放されるに至った。人は己の実存に気づき,独立した人格を求め,宗教から脱却して,漸く幽体の存在は否定され,今や機械とともに新たなる全地球的社会協約の必要に思い至す所にまで達した。そして,神は遺伝子に刻まれた種の保存を担うDNA上に装置されたタンパク質として新たに顕現することになった。即ち,受精から細胞分裂による体内の器官,例に挙げれば心臓の形成から脳の形成までを担うプロセスは正に,神の領域である。これらの器官が創生される具体的仕組みはいまだ謎であり,推論をもってしても断定事項は無い。そういう訳で神のシステムは解明されつつあると言える。ただ,心臓は無意識下に作動し,脳は意識されて作動する器官であるが,その二つを繋ぐ回路が,どのような仕組みか,は分かっていない。
神のシステムで意識される部分は信仰という能動性とより深い受動性である。その具体的行為である,祈り,についても,その仕組みはまだ具体的なタンパク質の組み合わせや配列が分かっている訳でもなく,当然,可視化されない情報の経路があることを暗示させる。ただ,この時,どういう作用で,細胞が起動しているか,が分かれば,そのメカニズムの解明の糸口にはなるだろう。
人間は,ほかの動物と同じく,心地よさを追求することは言うまでもない。この状況を継続することに人間は腐心する。ドーパミンが分泌され,満足という状態になると,それ以上の幸福を望まなくなる者もいる。しかし,報酬系の野望は限りが無い。さらなる目標を目指す仕組みである。これを欲望といってもよい。幸福を追求する動物である人間の思考系は如何に早く,如何により多く,そして,今や効率的である以上に,創造的,かつ高品質を求める方向に舵を切る。際限のない欲求の行き着く先は,どこなのか。そこでの幸福とはどういうものなのか。人間は何処までいくのか。
人類の果てしない旅の彼方には,破滅が待っていると思う者もいる。確かにその可能性はある。しかし,それは,多分無い。この混迷の中で苦悶する者達もいる。それでも,今世紀中に人間は悟るのだ。人類の回帰線が近づいていることは疑いない。人間の”知“はこの美しく愛すべき自然を育んだ,月と海との奇跡のバランスによって存在する地球という青く輝く水の惑星に暮らすあらゆる生命の守護者として進化してきたのだ。人類の目指した自由と平和の社会は,そのためにこそあったのだ。
信じられないかもしれないが,平和が実現し,高度な科学技術を持ち,何もかもが幸福の域に達し,貧富の差も無くなり,差別も,脅迫も消し去り,進歩は到達点に来た未来,文明は加速度的に進歩し,爛熟し,何らかの終焉へ向かっていた。高らかに謳(ウタ)い上げられた文明の時代の終焉であり,その魂は消失しようとしていた。人類は,都市を去りつつあった。何故か,は分からなかった。それは頂点を極め,繁栄を享受し,顕示した地上や海上の過去の建造物が荒廃の中で,遺跡と化していくのと同時だった。人々は,自然へと還っていくのだった。未来は病んでいたのかもしれない。人類は科学に疲れ果て,その貪欲な野望にも辟易し,欠乏したエネルギーを補う核融合炉の開発にも目途(メド)は立っていたにもかかわらず,悄然(ショウゼン),山野や海浜へと移住していくようになっていた。しかし,それは,死を意味するものではなく,崩壊したものでもなく,ただ,明日を待つだけの人々だった。