実存主義の泥濘(ヌカルミ)Muddy existentialism


Muddy existentialism 実存主義の泥濘(ヌカルミ)

prologue 内在の思(視)考 

実存は本質に先立つ。と,複眼の哲学者は言った。又,人間の行動は,投企的である。とも。脳の機能は,測・行・証の同時進行の繰り返しであり,最初の報酬系の動機は逐次更新していく。とも。それならば,而して,その本質は何処にありや。思(視)考とは何ぞや。

phase 1 行進する人々

 時系列的に可変する事象を時間と捉えるなら,ボクたちは常に時間と共にある。いつものレインコート姿で車に乗り込もうとするその哲学者は雨の日がよく似合う。実存とは何か。それは既に自立・独立した存在であり,あるいは,孤立した存在であることを嚙み締めるしかないのだ。彼が考える社会の変革など,到底できるものでもない。ただ,一連の顛末だけが示される,架空の変革にこそ意味がある。社会を変えることは難しくは無い。歴史が示すように,人類は,様々な契約行為で時代を変えてきた実績がある。ウイ・アー・ザ・ワールド。チェンジ・ザ・ワールド。しとしとと小雨の中を学生や民衆が様々な要求を求め,静かにデモは続く。変えなければ,変わらなければいけない。こんな世界は間違っている。どこが間違っているか,は,すぐには言えないが,それは問題ではない。変わらなければならないのだ。

phase 2 民主主義って何だっけ。

雨は一向に止む気配はない。政治には,偽善という看板が掲げられている。降り続く酸性雨の中を人々は歩く,黙々と。やつれた表情を浮かべている者もいる。疲弊し,俯(ウツム)き加減で通り過ぎていく子供連れもいる。怒りを込めた眼差しで群衆に目を向ける者もいる。何が民主主義だ。主権在民?笑わせるな。そんな宣伝文句は,今はもう流行(ハヤ)らないぜ。選挙に出たって損するだけさ。資金もないから当選するはずもない。政党なんて形ばかりの張り子のトラさ。吸い上げられて集(タカ)られる。して欲しいことはたくさんあるが,金を出さなきゃ,何にもしない。民主主義って,そんなもんさ。

phase 3 妖しい虚無主義

通りはデモの後片付けが始まる。ショーウインド越しのテレビからスポーツ中継のアナウンサーの声が漏れる。「勝つも負けるも時の運,ということでしょうか。」何から何まで,シナリオ通りの毎日。一泊二食付きの寝床だけが自由な空間。世界がどう変わろうと,こっちにはお構いなし。何時しか,心の眼も閉じ,通りの雑音だけがアパートに届く時間となる。暮れなずむ路地裏の隅っこでは,夜の仕事の母親たちが出がけに子供たちに何かを言いつけて小走りに去っていく。そこに政治の出番は無い。ただ,言わずもがなの哲学はある。自分だけを信じればいいのさ。本当の味方は自分だけさ。

phase 4 サイバー空間の虜(トリコ)

もう何とか主義の時代じゃないぜ。ニュースを聞くなんて馬鹿な事さ。それより,フェイクや都市伝説がいいぜ。世の中って,退廃の中から生まれてくるのさ。そう,みんなが現実から逃げ出せなくなって,もがき苦しみだしたら,妖怪変化,魑魅魍魎の世界がやって来るんだ。お惚(トボ)けのバラエティーに気を取られ,カラオケ日本一とか言っているうちにディジタルの波に吞まれて,三途の川は溢(アフ)れ返り,無間地獄の入り口に追い詰められて,何処にも生きようがなく,スマホだけを握りしめ,命乞いをする間もなく,腐臭のする屍肉となって地獄の底へ押し流されて行っちまうのさ。世の中って怖いね。

epilogue 祈りの拠り所

心を充足させてくれるのは,それは祈り。眠りと安らぎを与えてくれる。命とは祈りの賜物である。一日の疲れを癒し,明日の活力を生む。人間は誰しも,互恵平等の魂を持っている。辛い毎日を送らなければならない者にも,暖かい心の恵みをもって,接することを心がけることが必要である。他在は内在の鏡であり,そこに人間は自らの神を見出すことができるはずである。
2021年09月30日
Posted by kirisawa
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