“神々”の系譜 その4


Pink Floydを聴いたのは,もう,「Atom heart Mother」が,1970年に発売されてから暫く経った秋頃だった。しかし,それはそれほどショッキングな内容でもなかった。確かに20分を越える大作ではあったが,余りにも意図的に,意外性を持ち込んだことが返って,彼らの原点であるサイケデリックを不透明にし,効果的に使われるバイクのエンジン音や,チェロとブラス・アンサンブルの融合だけが耳に残る,ロックとは異質の,クラシックのPOPな現代音楽シンフォニーと言うべきものに変質してしまっていた。ボクは,バンド名くらいしか聞いたことの無い門外漢ではあったが,その大衆迎合的なメジャー志向に,何か不快な感じを受けたことを覚えている。

彼らは,ロジャー・ウォーターズ,リック・ライト,ニック・メイスンを中心に,後に,シド・バレット,デーヴィッド・ギルモアも加入した,建築工学学校出身の異色のバンドであり,音楽的にも文学的にも優れたアーティスティックなロックを目指して,高邁な理想や人生の悲喜劇を謳う芸術家肌のグループだった。結成後,暫く,当時は珍しくなかったサイケ調のブルース・ロックの影響も受け,度々メンバーが変わる不安定なバンドではあったが,1968年3月,シド・バレットがLSDの過剰摂取で重体となり,脱退,グループは,音楽的にも大きな曲がり角を経験することになった。1969年に制作された「More」は,同名タイトルの映画に使われ,効果的なサウンドは観客に新鮮な驚きを与え,まずまずの評判だった。この頃から,音楽界ではインストルメンタルを軸にするロックをプレグレッシヴ・ロックと呼ぶようになり,それはその後に続くELPなどに継承されていく。

同じ1969年,組曲風に編成された「Ummagumma」によって,バンドの方向性が決まり,自分達独自のカラーを鮮明にするようになった。そして,1971年「Meddle」に収録されていた中期の代表作となる「Echoes」によって,既成のロックからも脱し,独創的なアート・ロック・グループとして再評価されるに至った。又,同年8月,初来日し,糸居五郎・亀渕昭信の司会で開催された「箱根アフロディーテ」フェスティバルでライヴ演奏を披露し,絶賛され,日本では,ザ・ビートルズを除けば,公式認知された初の大物ロック・バンドとなった。然(シカ)も,プログレッシヴ・バンドとしては息長く,ウォーターズとギルモアの主導の下,問題作「The Dark Side of the Moon」(1973年11月),あるいは,「The Wall」(1979年11月)などを発表する傍ら,ライヴ・シーンでも欧米を中心に活動を続け,メンバー間の揉め事やマネジメントの係争にもめげず,体力の続く限り,プレイに注力した。

メンバーの横顔を顧みると,やはり,ロジャー・ウォーターズ(George Roger Waters 1946.9.6.)の才能が抜きんでて,その個性が際立っている。生後5カ月の時,父親がイタリア戦線で戦死,共産党員だった母親に育てられ,周囲から差別的な目で見られる子供時代を過ごしたことは,それなりに影響はあろうが,普段はそうした影を引きずってはいなかった。ただ,社会主義者を自認するロジャーとメンバーとの音楽を巡る折り合いは悪く,リック・ライトの脱退やギルモアとの激しい口論など,最終的には,1985年,自らがバンドを放り出し,Floydは一時,空中分解した。ロジャーは,その後,単独ツアーを行って,音楽活動を再開し,現在に至っている。

リック・ライト(Richard Wright 1948.7.28.-2008.9.15.)に関して言えば,ELPのキース・エマーソン(Keith Emerson1944.11.2.-2016.3.11.)に匹敵する劇的なプレイスタイルではないが,そのテクニックは繊細であり,さらに正確で,他の追随を許さぬキーボード奏者に違いなかった。リーダーのロジャーと激しく対立する場面も少なくなく,「The Wall」の製作中に解雇されたりもした。1987年,ギルモアとメイスンの誘いで,Floydが再生するとこれに参加し,気を吐いた。

ニック・メイスン(Nick Mason 1944.1.27.)は,Floydに欠かせない有能なドラマーで,個性が強く,しばしば対立したり,硬直するメンバーの調整役に徹した。ニックは比較的早くからグループ以外のミュージシャンたちとも交渉を持ち,ソロ活動に意欲的で,それが彼の柔軟性を育てたのかもしれない。

 シド・バレット(Syd Barrett 1946.1.6.-2006.7.7.)は憂鬱なるギタリストであり,彼は何者かに操られるように人間の影の部分を歩んだ。神は,彼に寄り添うメフィストの化身に摩り替り,異常ともいえる繊細な感性と大胆な胆力を与えた。シドの一生は,彼にしか判らないメビウスの輪の中にあり,1972年,Floydを去っていった。

 デーヴィッド・ギルモア(David Gilmore 1946.3.6.)の登場は,Floydに活力与えるものだった。1968年,不調のシドと入れ替わるように,ギルモアはグループに迎えられた。ギルモアの加入は,その後の,Floydの運命を変えるインパクトがあった。曲想は統一され,テーマが明らかになり,メンバーの役割分担も明瞭になり,素晴らしい調和によって,音楽も詞も新たな段階に進んだ。バンドが今世紀まで続いたのも,ギルモアの大いなる才能と演奏技術の賜物であった,と言って良い。

 プログレッシヴと呼ばれたアナログの最終シーンを生き抜いた強者たちの時代は去り,ディジタルのテクノやメタルの時代も過ぎ行こうとしている今,AIによって,全く,新しいミュージック・シーンが生まれようとしているのも確かであろう。しかし,サンプリングされ,加工された自然音や電子音のサウンドの繰り返しに何となく,空しさの様なものを感じる昨今,カルチャーがコマーシャリズムに太刀打ちできないほど弱体化し,人間のメッセージはどこかに消失してしまった,と思うこともある。あのノイジーなアナログの裸の音を懐かしく思うのは,やはり,ボクの懐古趣味に過ぎないのかもしれない。
2021年08月02日
Posted by kirisawa
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