HOME > マートレーヤ 4章 自由、或いは命 liberty, or life 強いるもの、強いられるもの man for forcing , man for forced 最近の投稿 不思議の国の高度理系人材の不足 2 不思議の国の高度理系人材の不足 1 ショートコラムの憂鬱 2022 part 2 知らず語りのレトリック。 幸運の輪 [wheel of fortune];煉獄への誘い その11 アーカイブ 月を選択 2022年12月 (1件) 2022年11月 (3件) 2022年10月 (3件) 2022年09月 (12件) 2022年08月 (4件) 2022年07月 (3件) 2022年06月 (10件) 2022年05月 (4件) 2022年04月 (2件) 2022年03月 (2件) 2021年12月 (7件) 2021年11月 (7件) 2021年10月 (9件) 2021年09月 (3件) 2021年08月 (10件) 2021年07月 (5件) 2020年11月 (10件) 2020年10月 (6件) 2020年09月 (8件) 2020年08月 (11件) 2020年07月 (12件) 2020年06月 (15件) 2020年05月 (11件) 2020年04月 (3件) 2020年03月 (11件) 2020年01月 (3件) 2019年12月 (3件) 2019年11月 (9件) 2019年10月 (5件) 2019年09月 (5件) 2019年08月 (5件) 2019年07月 (7件) 2019年06月 (6件) 2019年04月 (1件) 2019年03月 (5件) 2018年12月 (4件) 2018年11月 (1件) 2018年08月 (2件) 2018年05月 (2件) 2017年11月 (1件) 2017年08月 (1件) 2017年06月 (2件) 2017年05月 (1件) 2017年04月 (2件) 2017年03月 (3件) カテゴリー カテゴリーを選択 コンピューター AI トピックス ドイツ ネコ 世界 人 占い 哲学 地球 宗教 工学 心理学 手塚治虫 文学 歴史 環境 生活 生理学 真理 社会 神聖ローマ帝国 科学 経済 自我と人格 言葉 言語 近代ドイツ 運命 音楽 マートレーヤ 4章 自由、或いは命 liberty, or life 強いるもの、強いられるもの man for forcing , man for forced 恐るべきことに、妊娠中絶に関する議論が、依然として、前近代的レベルで、現在も行われている。アルゼンティンの新しい大統領は、2020年3月1日、人工妊娠中絶の合法化の法的手続きを進めることを表明したが、これまで、同国では、強制生殖による妊娠と母体の健康に著しい危険がある場合を除き、中絶手術は認められていなかった、という。これは、個人が自分の体の関する権利を事実上、強制的に放棄させられていたことを意味する。 命の問題は、過去においては、宗教的拘束力と習俗的慣習により、集団の経済的利益が優先され、愛・自由・平和の三原則は疎外され、各人の独立は認められていなかった。即ち、生産増殖の拡大にこそ、目標が当てられ、而(シカ)も、その支配層は少数の富裕階級であって、彼らの地位を保護するためにだけ、それらの機構は、その他、大多数を犠牲にして、存続していたのである。要するに、社会が、強権的な王政から、近代的な民主社会へ変質した現代においてさえ、依然として、ピラミッド的階層の頂点に立った者たちだけのために、繁殖生産システムの温存が図られ、その利益を独占・偏在する流れは変わっておらず、誰もが直面する、“性”の問題、つまり、命の問題については、都合のいいように、蹂躙(ジュウリン)され、本末転倒の人口問題に掏り変わり、命の尊さ、という、最も重要な、避けては通れない、人生の問いについては、お茶を濁して憚(ハバカ)らないのである。そこには、“愛”は無い。ただ、道徳律に隠された、“掟”と打算と下心があるだけである。 こうした国家集団システムと倫理との整合という問題は、過去のものとなったとは、到底言えない。その、主な主戦場は、ユナイテッド・ステート、合衆国に他ならない。合衆国では、人工妊娠中絶は合衆国憲法で保障された基本的人権である。1973年、命の問題は、初めて、女性の権利として認められた。即ち、妊娠中絶は、女性の個人の選択により行使できる権利として、合法であることを合衆国は憲法で保障し、これを不当に規制する州法を違憲とし、無効とする、との判決が下された。しかし、宗教集団による、信者囲い込みの動きが顕著になった2013年、ノースダコタ州議会は、中絶の権利を制限するハートビート法を可決、女性から命の権利を奪い返そうとする勢力の先導役を買って出た。ハートビート法とは、妊娠診断後、胎児の心音が確認された時点で、それ以後の中絶を禁じるものであり、具体的には、凡そ6―8週後に相当する。2019年までに、ジョージア、ケンタッキー、ルイジアナ、ミズーリ、ミシシッピ、オハイオの6州で同じハートビート法が、他10州でも中絶制限法が、アラバマ州に至っては全面禁止法が可決された。係る動きを、どう理解するか、ということであるが、これは、すべからく、もし、自身が当事者であれば、己の属す集団のイデオローグとそれに隠蔽されている収益構造から推し量るのが、簡便であろう。それが、全てを物語っている。 ブラック・ライヴズ・マターも重要だが、ウーマン・ライヴズ・マターも忘れてはならない。合衆国では、女性が、一人で、まともに、診療を受けられない地方が少なくない。例のアラバマ州であるが、そもそも、ここのメディケイド(低所得者公的医療保険制度)には、中絶手術の適用項目は無い。従って、貧しい女性は、望まない妊娠をしても中絶できず、仮に、手術の費用を工面したとしても、他の州の医療施設まで行かなくてはならない。この医療制度が行き届いた信心深い州の郡には、2017年時点、中絶手術ができるクリニックは全体の7%しかない。2020年3月、テキサス州は、コロナ・ヴィールス感染拡大の最中、「不可欠な医療サービスでない妊娠中絶手術」を中止することを表明し、専門医の団体から非難された。自由の国では、今も、黒人も、女性も、公正にon justice扱われているとは、思えない。子供も。 哲学 地球 宗教 環境 社会 科学 2020年07月24日 Posted by kirisawa 戻る
命の問題は、過去においては、宗教的拘束力と習俗的慣習により、集団の経済的利益が優先され、愛・自由・平和の三原則は疎外され、各人の独立は認められていなかった。即ち、生産増殖の拡大にこそ、目標が当てられ、而(シカ)も、その支配層は少数の富裕階級であって、彼らの地位を保護するためにだけ、それらの機構は、その他、大多数を犠牲にして、存続していたのである。要するに、社会が、強権的な王政から、近代的な民主社会へ変質した現代においてさえ、依然として、ピラミッド的階層の頂点に立った者たちだけのために、繁殖生産システムの温存が図られ、その利益を独占・偏在する流れは変わっておらず、誰もが直面する、“性”の問題、つまり、命の問題については、都合のいいように、蹂躙(ジュウリン)され、本末転倒の人口問題に掏り変わり、命の尊さ、という、最も重要な、避けては通れない、人生の問いについては、お茶を濁して憚(ハバカ)らないのである。そこには、“愛”は無い。ただ、道徳律に隠された、“掟”と打算と下心があるだけである。
こうした国家集団システムと倫理との整合という問題は、過去のものとなったとは、到底言えない。その、主な主戦場は、ユナイテッド・ステート、合衆国に他ならない。合衆国では、人工妊娠中絶は合衆国憲法で保障された基本的人権である。1973年、命の問題は、初めて、女性の権利として認められた。即ち、妊娠中絶は、女性の個人の選択により行使できる権利として、合法であることを合衆国は憲法で保障し、これを不当に規制する州法を違憲とし、無効とする、との判決が下された。しかし、宗教集団による、信者囲い込みの動きが顕著になった2013年、ノースダコタ州議会は、中絶の権利を制限するハートビート法を可決、女性から命の権利を奪い返そうとする勢力の先導役を買って出た。ハートビート法とは、妊娠診断後、胎児の心音が確認された時点で、それ以後の中絶を禁じるものであり、具体的には、凡そ6―8週後に相当する。2019年までに、ジョージア、ケンタッキー、ルイジアナ、ミズーリ、ミシシッピ、オハイオの6州で同じハートビート法が、他10州でも中絶制限法が、アラバマ州に至っては全面禁止法が可決された。係る動きを、どう理解するか、ということであるが、これは、すべからく、もし、自身が当事者であれば、己の属す集団のイデオローグとそれに隠蔽されている収益構造から推し量るのが、簡便であろう。それが、全てを物語っている。
ブラック・ライヴズ・マターも重要だが、ウーマン・ライヴズ・マターも忘れてはならない。合衆国では、女性が、一人で、まともに、診療を受けられない地方が少なくない。例のアラバマ州であるが、そもそも、ここのメディケイド(低所得者公的医療保険制度)には、中絶手術の適用項目は無い。従って、貧しい女性は、望まない妊娠をしても中絶できず、仮に、手術の費用を工面したとしても、他の州の医療施設まで行かなくてはならない。この医療制度が行き届いた信心深い州の郡には、2017年時点、中絶手術ができるクリニックは全体の7%しかない。2020年3月、テキサス州は、コロナ・ヴィールス感染拡大の最中、「不可欠な医療サービスでない妊娠中絶手術」を中止することを表明し、専門医の団体から非難された。自由の国では、今も、黒人も、女性も、公正にon justice扱われているとは、思えない。子供も。