マートレーヤ 2章 ジョセフと子供たち Joseph and children, and Mary


ジョセフは、子供たちと身を寄せ合って、暮らしている。夕暮れの、記憶の階層の中を、その女は、微笑みを湛(タタ)えて、足取りも軽やかにやって来る。心地良い疲れが一日の終わりを告げ、安らぎと寛(クツロ)ぎが約束された憩いの時を想いながら、ジョセフは、ドアが開くのを、心待ちに、じっと待っている。何もかも、計画通り、全てが揃っている。子煩悩な父親、子供好きの女、仲の良い子供たち、申し分ない。そうして、家族は、少しく、纏(マト)まっていく?

認識論と存在論は、心理学も容れて、思弁の範疇(ハンチュウ=カテゴリー)を出ることは無く、実践的であるはずの教育学ですら、その原理は、その類に帰着する。確かにそこにはタウマゼインに発する知的探求心(好奇心)が動機となった学究的モチベーションがあり、それ自体を否定する必要はないが、直観による論理構築だけに偏り、より多くの情報を集積し、多角的に検討・分析する作業を忌避することがあってはならない。それが、今日的課題である。

心の闇。を抱えた人々。ブロークン・ハーテッド・ピープル。ディープ・ウォンデッド・パースン。日常に、普通に復帰できたとしても、深い、浸食された記憶から、自分を切り離すことは出来ない。傷の痛みは、癒えず、そのことは、誰にも告げることもできず、ただ、一人で、心の奥底に閉まっておく他ない。そうした人々が増えている。その理由は、言わずもがな、である。

宮城まり子(1927.3.21.-2020.3.21.)さんが亡くなられた。93歳。大往生である。「ねむの木」の創立者で、肢体不自由児の養護に一生を捧げられた、無垢なる善意の奉仕者であった。彼女の人生は、決して、順風満帆ではなかったし、寧ろ、嵐の連続と言っても過言ではなかった。多くの友人、支援者に囲まれてはいたものの、何処か、孤独の影を引きずっているその姿は、哀れさを感じさせるところがあったが、持ち前の明るさがそれを払いのけていた。晩年は、老齢のそれに洩れず、苦労されたらしいが、仕方あるまい。合掌。

短い生涯。とてもとても短い生涯。六十年か七十年の。お百姓はどれほど田植えをするだろう。コックはパイをどれ位焼くだろう。教師は同じことをどれ位しゃべるだろう。子供たちは地球の住人になるために。文法や算数や魚の生態なんかを。しこたまつめこまれる。それから品種の改良や。りふじんな権力との闘いや。不正な裁判の攻撃や。泣きたいような雑用や。ばかな戦争の後始末をして。研究や精進や結婚などがあって。小さな赤ん坊が生まれたりすると。考えたりもっと違った自分になりたい。欲望などはもはやぜいたく品になってしまう。

世界に別れを告げる日に。ひとは一生をふりかえって。じぶんが本当に生きた日が。あまりにすくなかったことに驚くだろう。指折り数えるほどしかない。その日々の中の一つには。恋人との最初の一瞥の。するどい閃光などもまじっているだろう。<本当に生きた日>は人によって。たしかに違う。ぎらりと光るダイヤのような日は。銃殺の朝であったり。アトリエの夜であったり。果樹園の真昼であったり。未明のスクラムであったりするのだ。

              (茨木のり子 詩集「みえない配達夫」より)

女は、ジョセフと子供たちに夕食を誂(アツラ)えると、自分も、静かに、そして、控えめに、ジョセフの隣に座った。和やかな食事の一時(ヒトトキ)が過ぎていく。香ばしく、甘い料理の匂(ニオ)いが部屋を満たし、子供たちの笑う声が聞こえ、語らいが続く。ジョセフは、喜びを届けてくれた女に感謝する。彼女にも、幸せが授けられますように。身重の女の行く末を案じて、男は祈った。

知は、痴と、余り変わらなくなった。知は、大体において、病的なものになりつつある。だから、知的好奇心は、痴的好奇心などと書かれるようになり、知は、痴を尽くす知の人の象徴、悩む人の象徴となった。知的な人ほど、疲れている。知的な人ほど、病んでいる。仕方のないことだ。知性は、今や、痴性である。そして、知性(痴性)は、遠慮なく、消耗されている。立ち止まることは許されない。
2020年07月02日
Posted by kirisawa
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