HOME > マートレーヤ 2章 ジョセフと子供たち Joseph and children, and Mary 最近の投稿 不思議の国の高度理系人材の不足 2 不思議の国の高度理系人材の不足 1 ショートコラムの憂鬱 2022 part 2 知らず語りのレトリック。 幸運の輪 [wheel of fortune];煉獄への誘い その11 アーカイブ 月を選択 2022年12月 (1件) 2022年11月 (3件) 2022年10月 (3件) 2022年09月 (12件) 2022年08月 (4件) 2022年07月 (3件) 2022年06月 (10件) 2022年05月 (4件) 2022年04月 (2件) 2022年03月 (2件) 2021年12月 (7件) 2021年11月 (7件) 2021年10月 (9件) 2021年09月 (3件) 2021年08月 (10件) 2021年07月 (5件) 2020年11月 (10件) 2020年10月 (6件) 2020年09月 (8件) 2020年08月 (11件) 2020年07月 (12件) 2020年06月 (15件) 2020年05月 (11件) 2020年04月 (3件) 2020年03月 (11件) 2020年01月 (3件) 2019年12月 (3件) 2019年11月 (9件) 2019年10月 (5件) 2019年09月 (5件) 2019年08月 (5件) 2019年07月 (7件) 2019年06月 (6件) 2019年04月 (1件) 2019年03月 (5件) 2018年12月 (4件) 2018年11月 (1件) 2018年08月 (2件) 2018年05月 (2件) 2017年11月 (1件) 2017年08月 (1件) 2017年06月 (2件) 2017年05月 (1件) 2017年04月 (2件) 2017年03月 (3件) カテゴリー カテゴリーを選択 コンピューター AI トピックス ドイツ ネコ 世界 人 占い 哲学 地球 宗教 工学 心理学 手塚治虫 文学 歴史 環境 生活 生理学 真理 社会 神聖ローマ帝国 科学 経済 自我と人格 言葉 言語 近代ドイツ 運命 音楽 マートレーヤ 2章 ジョセフと子供たち Joseph and children, and Mary ジョセフは、子供たちと身を寄せ合って、暮らしている。夕暮れの、記憶の階層の中を、その女は、微笑みを湛(タタ)えて、足取りも軽やかにやって来る。心地良い疲れが一日の終わりを告げ、安らぎと寛(クツロ)ぎが約束された憩いの時を想いながら、ジョセフは、ドアが開くのを、心待ちに、じっと待っている。何もかも、計画通り、全てが揃っている。子煩悩な父親、子供好きの女、仲の良い子供たち、申し分ない。そうして、家族は、少しく、纏(マト)まっていく? 認識論と存在論は、心理学も容れて、思弁の範疇(ハンチュウ=カテゴリー)を出ることは無く、実践的であるはずの教育学ですら、その原理は、その類に帰着する。確かにそこにはタウマゼインに発する知的探求心(好奇心)が動機となった学究的モチベーションがあり、それ自体を否定する必要はないが、直観による論理構築だけに偏り、より多くの情報を集積し、多角的に検討・分析する作業を忌避することがあってはならない。それが、今日的課題である。 心の闇。を抱えた人々。ブロークン・ハーテッド・ピープル。ディープ・ウォンデッド・パースン。日常に、普通に復帰できたとしても、深い、浸食された記憶から、自分を切り離すことは出来ない。傷の痛みは、癒えず、そのことは、誰にも告げることもできず、ただ、一人で、心の奥底に閉まっておく他ない。そうした人々が増えている。その理由は、言わずもがな、である。 宮城まり子(1927.3.21.-2020.3.21.)さんが亡くなられた。93歳。大往生である。「ねむの木」の創立者で、肢体不自由児の養護に一生を捧げられた、無垢なる善意の奉仕者であった。彼女の人生は、決して、順風満帆ではなかったし、寧ろ、嵐の連続と言っても過言ではなかった。多くの友人、支援者に囲まれてはいたものの、何処か、孤独の影を引きずっているその姿は、哀れさを感じさせるところがあったが、持ち前の明るさがそれを払いのけていた。晩年は、老齢のそれに洩れず、苦労されたらしいが、仕方あるまい。合掌。 短い生涯。とてもとても短い生涯。六十年か七十年の。お百姓はどれほど田植えをするだろう。コックはパイをどれ位焼くだろう。教師は同じことをどれ位しゃべるだろう。子供たちは地球の住人になるために。文法や算数や魚の生態なんかを。しこたまつめこまれる。それから品種の改良や。りふじんな権力との闘いや。不正な裁判の攻撃や。泣きたいような雑用や。ばかな戦争の後始末をして。研究や精進や結婚などがあって。小さな赤ん坊が生まれたりすると。考えたりもっと違った自分になりたい。欲望などはもはやぜいたく品になってしまう。 世界に別れを告げる日に。ひとは一生をふりかえって。じぶんが本当に生きた日が。あまりにすくなかったことに驚くだろう。指折り数えるほどしかない。その日々の中の一つには。恋人との最初の一瞥の。するどい閃光などもまじっているだろう。<本当に生きた日>は人によって。たしかに違う。ぎらりと光るダイヤのような日は。銃殺の朝であったり。アトリエの夜であったり。果樹園の真昼であったり。未明のスクラムであったりするのだ。 (茨木のり子 詩集「みえない配達夫」より) 女は、ジョセフと子供たちに夕食を誂(アツラ)えると、自分も、静かに、そして、控えめに、ジョセフの隣に座った。和やかな食事の一時(ヒトトキ)が過ぎていく。香ばしく、甘い料理の匂(ニオ)いが部屋を満たし、子供たちの笑う声が聞こえ、語らいが続く。ジョセフは、喜びを届けてくれた女に感謝する。彼女にも、幸せが授けられますように。身重の女の行く末を案じて、男は祈った。 知は、痴と、余り変わらなくなった。知は、大体において、病的なものになりつつある。だから、知的好奇心は、痴的好奇心などと書かれるようになり、知は、痴を尽くす知の人の象徴、悩む人の象徴となった。知的な人ほど、疲れている。知的な人ほど、病んでいる。仕方のないことだ。知性は、今や、痴性である。そして、知性(痴性)は、遠慮なく、消耗されている。立ち止まることは許されない。 哲学 地球 宗教 環境 社会 科学 2020年07月02日 Posted by kirisawa 戻る
認識論と存在論は、心理学も容れて、思弁の範疇(ハンチュウ=カテゴリー)を出ることは無く、実践的であるはずの教育学ですら、その原理は、その類に帰着する。確かにそこにはタウマゼインに発する知的探求心(好奇心)が動機となった学究的モチベーションがあり、それ自体を否定する必要はないが、直観による論理構築だけに偏り、より多くの情報を集積し、多角的に検討・分析する作業を忌避することがあってはならない。それが、今日的課題である。
心の闇。を抱えた人々。ブロークン・ハーテッド・ピープル。ディープ・ウォンデッド・パースン。日常に、普通に復帰できたとしても、深い、浸食された記憶から、自分を切り離すことは出来ない。傷の痛みは、癒えず、そのことは、誰にも告げることもできず、ただ、一人で、心の奥底に閉まっておく他ない。そうした人々が増えている。その理由は、言わずもがな、である。
宮城まり子(1927.3.21.-2020.3.21.)さんが亡くなられた。93歳。大往生である。「ねむの木」の創立者で、肢体不自由児の養護に一生を捧げられた、無垢なる善意の奉仕者であった。彼女の人生は、決して、順風満帆ではなかったし、寧ろ、嵐の連続と言っても過言ではなかった。多くの友人、支援者に囲まれてはいたものの、何処か、孤独の影を引きずっているその姿は、哀れさを感じさせるところがあったが、持ち前の明るさがそれを払いのけていた。晩年は、老齢のそれに洩れず、苦労されたらしいが、仕方あるまい。合掌。
短い生涯。とてもとても短い生涯。六十年か七十年の。お百姓はどれほど田植えをするだろう。コックはパイをどれ位焼くだろう。教師は同じことをどれ位しゃべるだろう。子供たちは地球の住人になるために。文法や算数や魚の生態なんかを。しこたまつめこまれる。それから品種の改良や。りふじんな権力との闘いや。不正な裁判の攻撃や。泣きたいような雑用や。ばかな戦争の後始末をして。研究や精進や結婚などがあって。小さな赤ん坊が生まれたりすると。考えたりもっと違った自分になりたい。欲望などはもはやぜいたく品になってしまう。
世界に別れを告げる日に。ひとは一生をふりかえって。じぶんが本当に生きた日が。あまりにすくなかったことに驚くだろう。指折り数えるほどしかない。その日々の中の一つには。恋人との最初の一瞥の。するどい閃光などもまじっているだろう。<本当に生きた日>は人によって。たしかに違う。ぎらりと光るダイヤのような日は。銃殺の朝であったり。アトリエの夜であったり。果樹園の真昼であったり。未明のスクラムであったりするのだ。
(茨木のり子 詩集「みえない配達夫」より)
女は、ジョセフと子供たちに夕食を誂(アツラ)えると、自分も、静かに、そして、控えめに、ジョセフの隣に座った。和やかな食事の一時(ヒトトキ)が過ぎていく。香ばしく、甘い料理の匂(ニオ)いが部屋を満たし、子供たちの笑う声が聞こえ、語らいが続く。ジョセフは、喜びを届けてくれた女に感謝する。彼女にも、幸せが授けられますように。身重の女の行く末を案じて、男は祈った。
知は、痴と、余り変わらなくなった。知は、大体において、病的なものになりつつある。だから、知的好奇心は、痴的好奇心などと書かれるようになり、知は、痴を尽くす知の人の象徴、悩む人の象徴となった。知的な人ほど、疲れている。知的な人ほど、病んでいる。仕方のないことだ。知性は、今や、痴性である。そして、知性(痴性)は、遠慮なく、消耗されている。立ち止まることは許されない。