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猫は穏やかで、仕草も可愛い生き物と誤認されており、本来の獣性を暴き立てるような論調には滅多にお目にかからないが、この、「猫を被(カブ)る」、という言葉だけは、所謂(イワユル)、常套(ジョウトウ)式に当てはまらないのである。恐るべき愛玩動物である猫の本性は、昼寝好きであることからも分かるように夜行性であって、夙(ツト)に、これまでにも指摘してきたように機能的にも、いつ、野生に帰っても不思議でない器官が標準装備されていて、その意味でも、立派な狩猟動物と言って良いのである。
この言葉の意味は、二重性を持つらしく、「大人しそうな振りをしているが、得てして、逆だ」というのと、「知っているのに知らないふり」という二つの使い方があるのだ、という。つまり、そのessenceは本性・本心を秘匿し、優位な立ち位置を保持しようという意図を内含しているものと言える。つまり、ヒトを欺く行為である。これは、ある意味、猫の生態を反映していなくもないが、猫好きには、余り、歓迎されない内容であろう。それは、この解釈が、余りにも、人間の日常的習性を猫の生態に投射しているように感じられるからかもしれない。
余談だが、借りてきた猫という表現もあるが、猫は借りてきても、大人しくなどしていない。大体、直ぐに、着いた家の探検を始めてしまう。猫に限らず、動物は、縄張りを最も意識するので、そうした行動をとるのは、至って、自然なことであるのかもしれず、人間にしてからが、初めて行ったところは何かと探訪したがる傾向がある。
ところで、この猫っ被りの由来であるが、現在の言葉に変容したのは、近世の日本であることはほぼ間違いないのだが(あの前田の化け猫とも接点がありそうだが)、その系譜は、実は古代Orientにまで遡る、あるいは、Africa伝承の動物寓話に発祥するものかもしれぬ、有史前の古い起源を持つものか、と思われる。その、初期系統の古典というのは、あのAesop(イソップB.C.619-B.C.564頃)の「ライオンlionの皮をかぶったロバdonkeyと狐fox」というstoryであるが、ライオンの皮を被って虚勢を張ったロバが、鳴き声を狐に聞かれて正体を露呈するといった内容になっており、その趣旨は日本の猫っ被りの意味とは、まるで逆である。
このstoryは、やはり、Orient経由で中華帝国へも伝わったものとみられ、前漢の劉向という人が集成した戦国時代(B.C.403-B.C.221)の文書「戦国策」の遊説集の中に、「虎の威を借る狐」という一説がある。これは日本でも知られた故事ことわざである。その従来の意味は、日本では、Aesopに近い、虚勢を張る者の愚かさを皮肉ったものであり、まさに愚弄(グロウ)しているのだが、これに対し、この中国の文献は、些(イササ)か、趣を異にする。その本当のstoryは以下のようなものである。
(原文)
虎求百獣而食之、得狐。
狐曰、
子無敢食我也。
天帝使我長百獣。
今子食我、是逆天帝命也。
子以我為不信、吾為子先行。
子随我後観。
百獣之見我、而敢不走乎。
虎以為然。
故遂与之行。
獣見之皆走。
虎不知獣畏己而走也。
以為畏狐也。
虎があらゆる動物を狩りの獲物していた時、狐を捕まえたことがあった。
狐は言った。
貴方は敢て、私を食べない方が良い。
天帝(主神)は私をあらゆる動物の長(主席)と定めておられる。
今、貴方が私を食べるということは、天帝の掟に背(ソム)くことである。
もし、貴方が私を信じないというなら、私が貴方の前に立って歩いてみよう。
貴方は私の後ろに付いてくるがいい。
あらゆる動物たちは、私を見て走り出すでしょう。
それで、虎は、そうしよう、と言った。
そういう訳で、虎は狐に付いていくことになったのである。
狐を見た動物たちは、皆一斉に逃げていった。
虎は動物たちが自分の姿を見て逃げていくのだということに気づかなかった。
そして、全ては狐の力なのだ、と感服した。
ここでは、狐の知力が謳(ウタ)われている。いくら力が強くとも、知の前には屈する他ないのかもしれない。これは虚勢を張る、といった問題では、既に無い。権力を笠に着て頭のイイ者は何をするか分からないということをも暗示しているのではないか?ここに、狐の知恵ではあるが、猫っ被りに通じる暗黙の謀略的行動とでも呼ぶべきものを垣間見ることができる。(権謀術策というではないか。)以上、猫の様態を真似(マネ)た人間の作為的行為に関する考察でした。因みに、ライオンも、虎も、立派な猫族である。