two Charlies in truth and conscience chapter 5


 warning for the age of tomorrow
 事の始まりは、1942年秋、である。前年、「市民ケーン」で新聞王ハーストの虚像を暴いたオーソン・ウェルズ(1915.5.6.-1985.10.10.)がチャーリーを訪ね、思いついた一つのアイデアを打ち明けた。それは、フランスで起きた連続殺人の犯人に関することであったが、チャーリーは、それをヒントにあるストーリーを着想した。そして、それを、戦後の第一作とし、これまでにない演出と、これまでにない展開の悲喜劇映画とする企画を立てた。そのテーマは、人間の欺瞞と矛盾の告発であり、良心と悲哀といったこれまでの路線からは大きくかけ離れるものであった。チャーリーは、2年の歳月をかけ、苦心の末、脚本を脱稿したが、検閲の段階で一部の内容が外部に漏れ、1946年9月の撮影終了時には、上映反対・取り止めを叫ぶカトリック団体・在郷軍人会などの嫌がらせが始まっていた。

 1947年4月、名優が自ら、最高傑作と銘打ったブラック・コメディー「殺人狂時代」は封切られた。しかし、名優の予想に反し、観客の反応は良くなかった。あまりにも笑えない内容に、大方は戸惑い、あるいは失望し、劇場を後にした。この作品が物議を醸(カモ)したのは、ストーリーの構成だけでなく、“一人の殺害は犯罪者を生み、百万の殺害は英雄を生む。”といったセリフの厭戦(エンセン)的な人間批判や、犯罪の遠因となる社会構造などに言及したことも大きい。こうした人間の欺瞞・偽善といったものを可視化し、具体的に、かつ、直接的に表現することは、商業的にも忌避されるのがショー・ビジネスの世界の常である。チャーリーは敢(アエ)て、このタブーを破ったのであるが、多くの観客はただ困惑し、その意図は実を結ばなかった。(この作品は、ヴェトナム戦争が激化した1968年当時、再評価された。)

 その後のことを詳細に述べるのは、適切でもなく、重要とも思えない。名優は、遅ればせながら全体主義に侵された自由の国アメリカの不幸な時代、赤狩りの時代を無傷で切り抜けることはできなかった。彼は国外追放・再入国禁止となった。1952年の感傷的な自伝的作品「ライムライト」はロンドンで公開され上々の出来だったが、アメリカでは事実上、非公開同然の扱いとなってしまう。1957年、アメリカ政府に抗議する意味も込めた作品「ニューヨークの王様」も不発に終わり、名優は舞台から去った。

 チャーリーの晩年は、趣味人・社交家といった風情である。1943年に三度目の結婚をしたウーナ・オニール(1925.5.14.-1991.9.27.)との間には、最終的に8人の子供ができ、やっと落ち着いた家庭生活を味わうことができた。スイスのジュネーヴ湖畔の邸宅に移ったのは1953年1月のことであるが、彼の名誉は、1972年、アカデミー賞特別賞受賞という形で回復される。彼の映画は1970年代を通して再評価が行われ、映画人としてだけでなく、20世紀の偉人として評価されるまでになった。すでに、身体的に衰えていた名優は、隣村に住んでいた生涯の友、俳優のジェームズ・メイソンとも別れ、1977年12月25日に心不全でこの世を去る。1950年代には、周恩来、ジャン・コクトー、パブロ・カザルスをはじめ、各国の名士・要人と交友したが、その後は、概(オオム)ね、ヨーロッパで日々を過ごした。彼は、良心の不屈の闘士であり、それは人生を通して首尾一貫していた。偉大な一生であった。

 リンディーのその後は、太平洋にあった。“文明は、進歩か?”リンディーは過剰な文明との決別を図った。航空産業の一翼を担った自分を恥じ、自然の一部である人間自身の復興のために生きることを決めた。環境破壊の停止と生態系の維持に残りの人生をささげる決心をし、ハワイのマウイ島にアンと二人で移住する。それからの人生は、主に、フィリピン諸島での絶滅危惧種である小型水牛の保護や、現地先住民との共生の試みに充てられた。最期は悔いのない人生であった。1974年8月26日、リンパ腫のため、静かに息を引き取った。

 二人のチャーリーの物語はこれで終わりである。人生は波乱万丈、曲がり角あり、落とし穴ありの予測のできない不測のゲームである。或る時は笑い、或る時は泣き、又、或る時は憤(イキドオ)る。しかし、肝心なのは、正邪善悪・美醜強弱だけではない。判断は必要だが、そのためには考えること、考察・考慮することが重要である。それが、試行錯誤の迷宮から出口を見出す最善の方法であり、最短の道であることに気づかなければならない。それは学習や体験や勘だけではない。二人は、常に目前で起こる様々な事態を打開するため、生涯、考えることを辞めなかった。考え続けた。しかし、結論は同じではない。善行を成すべき判断は、真に善意からしか生じない。そのために、考えなければならない。何を成すべきか、何を捨て去るべきか。

 二人の歩んだ人生は、常に分岐点にあった。誤った選択をしたこともある。過信と自己満足が判断を誤らせたこともある。そうした失敗にも、自分を諦(アキラ)めず、最後まで励まし、生き抜いた輝かしい一生だった、と言いたいが、そうも言いきれない。人間の心を解剖しても、真の愛を得られるか、解らないように、人生の真意も、何処にあるのか、定かではない。解っていることといえば、何も無い、ということぐらいである。それでも、人生には、その人以外にも、何か意味があるような気がするのである。常に自分を、鏡のように自分自身に投影し、自分に恥じない人生を送ることができれば、それは、やはり、素晴らしいことではあろう。しかし、曲がりくねらない人生に何の意味があるのだろうか?
2019年11月19日
Posted by kirisawa
MENU

TOP
HOME