民事信託事例集  2016-2019 その1


〈信託の効果〉
 遺言は本人(被相続人)が死亡した時点で効力が生じるが、信託契約は本人が契約に同意し、内容確認の上契約書に署名捺印すれば、その時点で効力が生じる。本人は、その契約が自分自身の意思であることを自認すれば、生前に全財産をだれに(相続人以外でも、もちろん良い。)いつどのように分与するか、いつの時点までどの金融機関のどの金融商品を運用し、いつ現金化するか、など希望があれば、それは全く自由であり、最終的に自分の死亡時に、財産のすべてを処分、清算して、空き家など不要の負の遺産を残さず、争族の要因となるような貸家・借地・公的な道路沿いの山林などは、どの時点かで現金化して非営利法人などに供与してもよい。

 先ず受託者(相続人である必要はないが、守備範囲が広い信託免許を持つ法人か、比較的新しい制度であることと自分(本人・委託者)の年齢を考慮し、時代に対応できる法律家が望ましい。)をどう選任するか、が鍵と言える。財産の種類によっては、不動産・金融商品(2019年秋には東証・大証合併により、金融商品(株式・投信を含む)と商品市場で取引されている現物(コモディティ;金、プラチナ、銀、原油、小麦、大豆など。)を証券化した商品とが同時に販売される可能性も出てきている。)・ジュエリー・絵画・彫刻・骨董品等々、多岐にわたる場合もあるが、全部をカヴァーできる専門家など望むべくもないので、受け継がせるものとその他のものとにまず分け、それから法律家の助言の下、法定相続人・遺贈を受ける予定がある人々、さらには信託のその他の受益者について決めていかねばならない。一朝一夕にはいかない作業ではあるが、財産の種類や規模はまちまちであっても、意外とすんなり行く場合の方が多いらしい。案ずるより産むが易し、ということもある。

 今、信託を考えているというと大半の相続人は生前贈与を希望する。要するに、取り分の問題である。血縁であるというだけで、被相続人の所有財産を我が物にできる現行制度がいつまで続くのかわからないが、少なくとも今はその権利は認められているので、本人(被相続人・委託者)は自由に自分の財産を使って、死亡時に残すものがないプラス・マイナス=ゼロといった状態にするのはなかなか難しい。借金をする、という債務破産もしたくない。血縁のものがそっぽを向いて介護や看病に来なかったら、どうしようなどと色々考えてみると、信託の中身を相続人の誰かを後継ぎとして、受託者(はっきり言って素人)にしてもよいのでは、となってしまうこともある。元の木阿弥のように聞こえるが、法律の世界を知らなければ、現実はそんなものかもしれない。
 しかし、法律は被相続人がこんな愚行に陥らないよう、きちんと整備されている。いわゆる任意後見制度がそれである。従来の成年後見制度はここ二十年の間で様々なほころびが表面化し、ありうべからざることが次々と露呈し、すでに核家族化が進行した今日、同居しない血縁者が相続人としての権利だけを持ち、被相続人の遺産の分与だけにあずかろうとしているような制度は、争族を助長するのみならず、親族間に無用の感情的対立を招き、溝を生み、最後には離間していく運命的帰結の道程を煽(アオ)るものでしかない。居たたまれない気持ちだが、実際そうなってしまった人々は少数ではない。この高齢社会と少子化の時代、家族崩壊の引き金を行政・立法・司法の三権が寄ってたかって引く?

 そんなことはない。かくも、目まぐるしく、かくも、かまびしすく、後手後手の、とりとめもない事態の助け舟(?)として、とにかく任意後見制度はスタートした。これについて詳述することは自粛させていただきたい。この制度が複雑であるとか、難解であるから、とかではない。これについては、専門家である法律家(弁護士・司法書士)に聞いていただいた方が賢明だろうと考えるからである。その利点、及び、不明の点については、より詳しい専門知識とそれに関連する判例を持つ法律事務所の専門家こそが適任であろう。そして、これだけははっきりしている。この制度は自分(本人・被相続人)の身の回りに、横着横暴で下心があるような親族・兄弟姉妹のある方にとって、有効な自衛手段であり、人生の最後に当たって、悔いのない結末を迎えることのできる最終手段なのである。ともかく関心のある方は、まずは相談というところだろう。信託による相続・清算はまだまだこれからの方法かもしれないが、これが切り札であることに疑う余地はない。ほかの手立ては、もう考えられない。

 一般に、相続税の評価額が低いという理由で、不動産の形のまま遺産として残そうとする向きもあるが、もし、相続時に被相続人から不動産を受け継いだ場合のことを予め考えておかないと、どんな事態が発生するか、どんな災難が待っているのか、わからぬまま泥沼にはまって、身動きが取れない状態になってしまうケースもある。人生に失敗はつきもの、などと構えて対策を怠れば、迷路から抜け出せず、財産があったがための悲劇という結末となる可能性が、大、なのである。以下に、駐車場経営で副収入を得ようとした場合における事例のさわりだけを述べる。現実には、これ以上に複雑で、しかも営業中にはいろいろな事件も起きる。

 親から不動産を相続しても、上物があれば、それは財産でも何でもない。築30年も越していれば、それは立派なお荷物で、持ち家を自分で持っている人なら、さっさと手放したほうが良い。土地を更地にして、宅地登録をやめ、駐車場にでもして副収入を得よう、とか馬鹿なことは考えると、また別の落とし穴がある。すぐ発生するのが、その管理費。結局、不動産会社を探し、管理委託契約を結ばなければ、そもそもの駐車場経営は始められないので、それだけでひと手間である。これが経営である以上、毎月の諸般の手続き(駐車料金の収納状況の確認だけではない。脱退、新規契約、空き状況確認など)、管理会社との間で必要な文書のやり取りも待っていて、果たして、収支に見合う利益確保が保証されるか、どうか、考え物である。それに更地でも不動産は毎年税金を取られるだけでなく、宅地登記の如何に拘わらず、自治会からの要請があった場合は言を俟たず、規則に従って、除草・清掃を年に何回かやらねばならないので、これまた業者を頼まなければならない。係る管理義務は、当事者である以上、避けて通ることはできない。所在地によって負担する金額には大きな差が出るが、郊外であろうと、街中であろうと責任を回避することはできないのであり、この問題一つとっても、自分一人では対処できるはずもなく、業者に頼れば頼るほど費用負担が増し、結局期待した収入は得られないのが、現実である。

 事例としては、このほかよくあるのは、ワンルームマンション、空き地活用をうたうアパート経営など、かなり昔からあって、何かのたびに繰り返し被害にあったという人が出るのだが、やはり、当事者の認識が誤っていることに起因しているのであって、手続き上の不手際とは言えまい。重要な契約行為である以上、不法なからくりなどはあろうはずもなく、あくまでも当事者間の合意(すなわち、これが契約)によるものであり、法治体制である以上、社会においては優先的に(正確には、何をおいても)尊重されなければならないことになっているのだから、事後的措置はできない。相続も立派な契約行為である以上、その内容を十分理解したうえで捺印しなければならない。自分の相続分が不動産であった場合、その資産としての価値を担保するものは何か、将来のどの時点まで不動産のまま所有すべきか、など、専門家・金融機関の助言も聞いて対応を決めておくことも必要だろう。まして、これから土地需要は明らかに減る。そうなれば、地価は下がり、税負担も減るが、維持費は尚、掛かるようになり、マイナスになる。目の前の人参に惑わされ、長期投資とささやかれて誘いに乗ってしまってからでは手遅れで、元々持っていなければ、悩みの種にもならなかったものをと、言うことになるかもしれない。
2019年03月16日
Posted by kirisawa
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