巷では,アルテミス計画(Artemis program)という2024年までに地球人の女性を月に着地させようという計画が進んでいる。月と言えばウサギというのが日本の感覚であるが,とすると,アメリカはバニーガールということになるだろうか。しかし,イギリスには気違いは3月の兎(Mad as March Hare)ようだ,という成句がある。ルイス・キャロル(Lweis Carrollo 1832.1.27.-1898.1.14.)はその発情期におくれた5月の兎という設定で「不思議の国のアリス」の冒頭部分を書き出しているし,ピンク・フロイドの「ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン」も邦題は「狂気」となっている。月は,何かに憑け狂気と結びつけられ,ウルフマン(狼男)・ジャック・ショーもその例外ではない。つまり,月は狂気と相性がいいらしい。
月という世界と信仰
月は何か心もとない静寂の世界と考えられがちだが,本当にそうだろうか?地球の重力の影響で月は年に数㎝ずつ落ちてきていることは分かっており,何れは衝突するのだろうか?否,その計算は間違っていないかもしれないが,それ以前に太陽の方に寿命が来るという計算もある。いずれにしても,ボクたちにはおよそ関係ない何十億年か先の話である。
月に対する信仰というのか,行事として満月信仰がある。これは太陰暦が中心だった紀元前には始まっていて,占星術の発祥よりも以前から続いてきたものである。それだけに,現象的に肉眼ではっきり分かる彗星(スイセイ)や惑星などと共に地上の位置確認に利用されるようになったのが起源だろうと考えられる。月を暦として利用するようになったのはシュメールや中国,ヘブライが始まりではないだろうか?
空は高く,あくまで高く,澄み渡り,やがて,秋の真っただ中を運んでくる。燃え立つ山の稜線を縁取る紅葉たちの競演と共に,収穫と稲わらを焼く臭いの季節が来る。
「心遠ければ地自ずから偏なり」
(陶淵明 TaoYuan-ming興寧三年365年-元嘉四年427年11月)
俗世から心を遠去け,穏やかに暮らせるならば,誰一人訪ねて来る者がなくとも,それはそれ,良いのではないか。陶淵明は「帰去来辞」で有名な詩人である。無味乾燥な宮仕えに疲れ,故郷での隠棲の暮らしを,自分自身の解放の道を選んだ。
折から中秋の名月。月に帰った姫はどうしているだろうか?
巷では,アルテミス計画(Artemis program)という2024年までに地球人の女性を月に着地させようという計画が進んでいる。月と言えばウサギというのが日本の感覚であるが,とすると,アメリカはバニーガールということになるだろうか。しかし,イギリスには気違いは3月の兎(Mad as March Hare)ようだ,という成句がある。ルイス・キャロル(Lweis Carrollo 1832.1.27.-1898.1.14.)はその発情期におくれた5月の兎という設定で「不思議の国のアリス」の冒頭部分を書き出しているし,ピンク・フロイドの「ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン」も邦題は「狂気」となっている。月は,何かに憑け狂気と結びつけられ,ウルフマン(狼男)・ジャック・ショーもその例外ではない。つまり,月は狂気と相性がいいらしい。
九月
しどけない夏は終わり,したたかな秋がやって来る。移ろい易く輝く星々が,満天の星々が戯れ過ぎた天使たちを抱きしめ,潮風でシャツを濡らす。やがて秋色に吸い込まれていく浜辺に刻まれる波の漣(サザナミ)の子守唄を聴く事も無く,若者たちは立ち去っていく。
十六夜はわづかに闇の初哉 (松尾芭蕉)
十五夜の次の夜,満月は欠け始める。猶予(イザヨ)うというのは,躊躇(タメラ)いがちという意味で,前日十五夜の月の出より,十六夜の月は50分ほど遅くなるからだという。
十三夜 (樋口一葉)
一葉の小説「十三夜」の十三夜とは,十五夜から次の満月の二日前の月のことであるが,謂れとしては収穫祭のイメージの強いものである。一葉の主人公は,夫のDVに耐えかねて,幼子を残したまま実家に引籠っていた。しかし,実家の両親から離縁など以ての外と諭され,十三夜の夜,夫のもとへ帰ることになる。主人公は嫌々ながらも夫のもとへ帰るしかし句は無く,頼んでおいた人力車に乗り込むと,その車夫は以前懇意にしていた男であることに気づき,お互いの今の境遇に話が及ぶ。然し,互いにままならぬ事情であり,哀しくも再会できた幸運だけを胸に別れていくのだった。空には十三夜の月が朧気に冷たい光を放っていた。