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1881年,ニーチェが,アルプス山中を散歩している最中に啓示の如く閃(ヒラメ)いたのが永劫回帰という概念であったが,1883年,その思想の延長線上に浮上したのが,超人という人をも神をも時間をも超越した存在である。その人格の物語が,「ツァラトゥストラはかく語った」であった。この物語もアフォリズムで表現されたたとえ話ではあるが,一応ストーリーはある。ゾロアスター教の行者ザラトゥストラは森に籠り,行の毎日に明け暮れていたが,同じ苦行を続けていた老人に出会う。しかし何も悟ることは出来ない。ザラトゥストラはより行に励み,知恵を十分ため込んで,超人の思想に行き着く。そこで,ザラトゥラストらは街に出て,超人の教えを広めようとするが,誰も聞く者はいない。折りしも,広場では綱渡りの興行が行われており,人々は夢中になっている。ザラトゥストラはそれを見て,綱渡り師の試みに人間として不可能と思われることに挑戦する上昇志向を見て取るが,道化師の男に邪魔され,失敗して死んでしまう。ザラトゥストラはその勇気ある綱渡り師を葬ってやるが,人々の関心はそこには,もうなかった。それから,再び森に戻ったザラトゥストラは自分自身が白髪になるまで山籠もりを続け,永劫回帰が来るべき人間に植え付けられたことを悟って山を下りるのだった。
1886年,「ツァラトゥストラ」を翻案した「善悪の彼岸」を発表したニーチェは激しい頭痛に悩まされるようになり,その連続的発作と視力減退と吐き気に苛(サイナ)まれ,大学を休職し,イタリアへ転地療養へ出かけたが効果は無く,大学辞職後は,わずかな年金を頼りにアルプス山中からイタリアへ,そして南フランスの保養地の安宿を渡り歩く放浪生活を続け,次第に窮乏状態となっていった。
1888年,ニーチェは,自伝である「この人を見よ」を始め,「偶像のたそがれ」,「ワーグナーの場合」,「アンティ・クリスト」,など,この年だけで6冊の著作を世に送った。しかし,それは又,彼の精神的落日の最後の輝きでもあった。1889年1月,彼はイタリアのトリノの街頭で,精神錯乱に陥った。ナウムブルクに連れ戻されたニーチェは母の看護を受け,母の死後は,妹エリザベートがワイマールで看取った。55年の人生だった。