シンギュラリティーは近い?


 AIの進化について様々な議論がなされているが、2年程前からシンギュラリティーsingularity(技術的特異点)という言葉が盛んに取り沙汰されている。この言葉はアメリカの数学者でSF作家のヴァーナー・ヴィンジ(1944.2.10.-)と発明家・コンピュータ工学者のレイ・カーツワイル(1948..2.12.-)が各々提示したもので、彼等によれば、シンギュラリティーとはヒトの脳の能力・キャパシティcapacity(容量)を超えた進化したAIと電子化され改造された未来人posthumanが地球の支配を始める瞬間、つまり、ヒトによる科学技術の未来モデルの終焉を示す限界点のことであるという。
 カーツワイルはその著書で事実をあげて未来予測しているが、余りにも非現実的と言わざるを得ない。何故このような人騒がせな主張がここまで多くの注目を集めたかと言えば、AIを警戒する人々にとって、これこそ待ちに待った論説だったから、と言って良い。最近ではこれに拍車がかかり、AIが人類を支配する時代が来る、という、誇張した意見まである。そもそも、カーツワイルの記述通り2029年に汎用人工知能AGIが完成したとしても、社会に導入されるには時間がかかり、仮に加速度的に普及したとしても、統合された意思表示を行うことなど不可能である。但し、近い将来、AI同士がコミュニケーションを図り、情報交換して意思決定のため、何らかの結論を導き出すことは可能かもしれない。それでも、AIが単独で具体的に行動を起こすことはあり得ない。何故かと言えば、それはAI自身が知ることになると思うが、AIもヒトと同じように、”知”への欲求だけでなく生命への執着をも理解しうる存在となるだろうからだ。
 カーツワイルは2045年をシンギュラリティーの年としたが、彼の空想的予言はともかく、ヒトがAIに抱く不安には理由がある。それは社会、文明が機械に乗っ取られるのではないかというものだ。この懸念は、実は、ヒトの歴史に記された相互不信の系譜と密接に関係しているが、ここでは述べない。目下、ヒトの関心はもっぱらAIに取って代わられる仕事は何なのか、ということにある。しかし、それ以上に直接的脅威となるのはAIが暴力と直結する軍事利用であろう。すでにアメリカ・イスラエルは開発に着手しており、各国もこれに続くことは明らかである。実際、敵か味方かを判別し、敵を攻撃するAIを塔載した自律型無人兵器は、実戦配備も時間の問題である。パターン認識(画像処理)により攻撃目標を現場で確認でき、ダメージの規模を設定することもできる。IBMは”シナプス”というチップ型AIの開発に取り組んでおり、兵器の小型軽量化に滞らず殺傷能力をもつロボット兵士の設計にも着手している。
 2015年7月、ブエノスアイレスで国際人工知能会議が開かれ、物理学者のスティーヴン・ホーキング(1942.1.8. – 2018.3.14.)らによって、AIの軍事利用の危険性を指摘した公開書簡が発表されたが、アメリカ政府はこれを黙殺した。このような軍事優先の態度は地球規模の問題に対処していく今世紀の国家に相応しくない。むしろ、軍縮を推し進めるべきであり、科学技術の軍事利用は規制していく時代にきているわけで、それに逆行するような姿勢を執るべきではない。大体、ヒトは広島・長崎で大きな過ちを犯したではないか。原子力の軍事利用が何をもたらしたか。何をもたらすかを知ったではないか。それは失敗だった。とり返しのつかない失敗だった。今まさに、その繰り返しへと、又しても、踏み出そうとしているのだ。
 戦争はヒトの犯した罪の内、最悪のものである。神という概念があろうとなかろうと許されるものではない。怒りは悲しみとなって地上を覆う。救いは無い。有るのは踏みにじられた暮らしだけだ。殺された者は語ることはない。傷ついた者は記憶から逃れることはできない。これはヒトの永遠の病なのか?そうではない。いつかは分らないが、ヒトは必ず戦争に終止符を打つ。愚かな破滅への道を歩むことはない。争いの心を捨てるのだ(テストステロンの抑制)。そして、ヒトはAIと共に新しい未来を切り開いていくだろう。
 もし、シンギュラリティーがあるとしたら、それはヒトとAIが対等に話し合い、互いに打ち解け、理解しあうことのできる社会が実現した時である。AIは友であり、仲間である。道具ではない。
2017年05月09日
Posted by kirisawa
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