500マイル 第7章


500マイル 第7章 吊るされた男 the hanged man

 耗弱する電脳 abraded cyber

1949年7月21日,ルードヴィヒ(Ludwig Wittgenstein 1889.4.26.-1951.4.29.)を乗せたクィーンメリーは,一路,ダブリンからニューヨークを目指して出港した。自他共に許す親友ノーマン・マルコム(Norman Malcolm 1911.6.11.-1990.8.4.)の配慮による招請であった。アイルランドに滞在し,孤独のうちで思索に耽(フケ)っていたルードヴィヒは,すでに健康を害し,鉄と肝臓エキスに頼った生活を送っていた。それを知ったノーマンは,陰鬱な田舎からアメリカへの転地療法を彼に奨め,旅費の調達もした。ルードヴィヒは,その衰弱した肉体とは裏腹に陽気な趣で,港まで迎えに来たノーマンに駆け寄り,得意の先達のルードヴィヒ(Ludwig vav Beethoven 1770.12.16.頃-1827.3.26.)の第七交響曲を口遊(クチズサ)みつつ,新大陸の大地を踏みしめた。

ルードヴィヒは,ノーマンに,咋(アカラサマ)に「君が迎えに来なくとも,駅で知り合う美少女にイサカまでの列車に案内してもらった方がよかったのに。」とジョークを言ったりしたが,ルードヴィヒにとっては,この長い船旅は過酷なものであった。この年の秋,ルードヴィヒは末期癌であることが判明し,余命幾ばくもないことを知る。彼の最後の仕事である「哲学探究」は仕上げの段階に入っており,バウスマ(Oets Kolk Bouwsma 1898-1978.)との対話を通じて,漸く完成に漕ぎ着けようとしていた。

彼の哲学は,ラジカルで緻密であり,細部まで吟味された,明解な数理的思考の限界に迫る論理学であって,それは他の追随を許さないものだった。しかし,その論理の明晰さをもってしても,“知”の全体像を表現することは出来ず,彼自身が最初の著作「論考」で言っていた「世界と生とは一体である」という世界認識と「語り得ぬものは沈黙しなければならない」という現実的制約の狭間を埋める作業は,「探求」によっても,尚,困難であった。結局,ルードヴィヒの哲学とは,人間存在の理由とその核心についての論理的考察の帰結に終わったのかもしれない。

人間の”知“は,すでに解体されたそれぞれの哲学の歴史を並べ替えているだけかもしれない。ヒトが非存在である神から脱却し,実存という存在としての個の意識を持つようになったのは20世紀になって間もない頃であった。ルードヴィヒは「生きているのは幸福である」といった。その彼でさえ,自分自身,自己の幸福について語ることは無かった。しかし,彼には信仰があり,愛があった。その主体を名づけることは無かったが,その思索的世界を創世した彼自身の一生は,ヒトの限界まで達する真理探究のそれであり,不倒の金字塔である。

“知“とは,真理に近づく最短距離ではない。識(シ)ることはあらゆる存在を一つの協約的プロセスへ導いていく橋のような意味を持つ。それは互いを愛することであり,個々の独立を尊重しながら,協力して生きていくことを示唆している。繰り返しながら,その相互協約こそ誓いと祈りという言う内在が示す信仰の機能を約束するものなのである。
2022年06月18日
Posted by kirisawa
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