Sophie × Pistis (智慧×信仰) stage 1


量子論は、エネルギーなどの量は定常では連続的だが、マイクロな、微小・微細のスケールの世界で不連続に分散する値しか取れない、とすることを基にした理論体系であり、1900年、マックス・プランク(Max Planck 1858.4.23.-1947.10.4.)により、初めて提示され、1905年、アインシュタイン夫妻により、その基礎概念が形成された。つまり、その考え方は、自然現象の連続性には、限界があって、例えば、エネルギーは連続する量ではなく、不連続な値しかとらない、言い換えると、エネルギーには、マイクロな何らかの物質、極小の欠片(カケラ)、断片(塊)が存在し、それこそを、量子(原子そのものやそれを構成しているさらに小さな電子・中性子・陽子はもとより,光子やニュートリノなどの素粒子をも含むナノサイズの単位)、と呼んでいることになる。その物理的実態が科学界により深く認識され、数学的枠組みが構築されたのは1920年代のことであり、数式による記述が一般的となってからは、量子力学(Quantum mechanics)と呼ばれる。固定観念に囚われ、物理量の不連続性という新発見の世界を拒み、懐疑的混沌から抜け出せなくなっていた当時の科学界にあっては、最初は量子論の基礎を語ったアインシュタインでさえ、「神はサイコロを振らない(God does not roll the dice)。」と確率論的にしかその存在を予想できない量子について、懐疑的な、否定的態度に回る有様で、その前途は全く見えない状況であった。

この頃、アインシュタインは、私生活の翩々(ヘンペン)に疲れ、神の摂理(予定調和)に囚われるようになっており、シオニズムへの傾斜が始まっていた。1921年、エーテルの実在が実(マコト)しやかに報じられると、アインシュタインは「神は狡猾だが、意地悪くはない(God is cunning, but not nasty)。」などと、神の本質を知っているかのような、素振りで語ったりした。そして、量子力学の確率的核心については、生涯、一切の妥協を拒否した。彼は整然と、綺麗に整列した公式にこそ、神の意思が宿る、と信仰するようになっていた。つまり、アインシュタインの科学観は、損なわれつつあった。1933年、アメリカに亡命したアインシュタインは運命の使命感に突き動かされ、亡命ユダヤ人の援護運動に加わり、遂には、1939年、ナチスよりも早く、原爆を開発しようとするレオ・シラード(Leo Szilard 1898.2.11.-1964.5.30.)ら、亡命ユダヤ人科学者たちに推されて、フランクリン・ルーズヴェルト(Franklin Roosevelt 1882.1.30.-1945.4.12.)大統領に親書を送ったりした。1955年、76歳で世を去るまで、20世紀最高の知性が考え続けた統一場理論は、神の存在を意識した、究極の完璧な最終幻想だったのだろうか?それは、この不完全な世界に、完全な円を描こうとする試みではなかったのではないだろうか?

今世紀の初めに、前世紀の人たちが予言したPost Human。それは、もう、あり得ない空想。今は、Post Machine。それは、ずっとヒューマンなDNAの時代。ボクたちがヒシヒシと感じる未来。ボクたちは、子どもの頃、遺伝子、という何か人間の秘密に纏(マツ)わる情報を含んだタンパク質がある、ということを知る。そして今、工学的にDNAを加工する技術は、情報処理の方面で、耐久永続性がある記憶媒体としての価値が評価され、開発に期待が集まる。新しい世紀に道は続く。今、Post Metalのシンフォニーを聴き、ディジタルの時めきの中を歩みだしたボクたちの前に、来るべき明日は広がっていく。
2020年11月01日
Posted by kirisawa
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