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1905年の「奇跡の年」のアインシュタイン夫妻の3つの革命的論文の発表から、アインシュタインがノーベル賞を受賞するまでに17年の歳月がかかった。彼の受賞を阻んだものは二つ。一つは、先進的な開明派の大物理学者、あのフィリップ・レーナルトの強硬な反対であり、もう一つは、相対論そのものが、余りに斬新で、今でいえば、SF紛(マガ)いのイメージが付き纏(マト)い、選考委員の誰からも理解されなかったからであった。特に、レーナルトは、本当の反対の理由はほかにあったのかもしれないが、時に、ドイツ国内で始まった反左翼運動や平和主義を攻撃する国家主義的国民運動のやり玉の一つとなったユダヤ人排斥に共感して、盛んに国際協調と世界平和を主張していたアインシュタインの、実は二枚舌的私生活を察知して、人格攻撃はしなかったものの、論文の正当性を否定したのである。
1922年、相対論を支持する科学者たちは、共同でノーベル賞選考委員会に書簡を送り、アインシュタインの選出を訴えた。曰く、「50年後の人々が、アインシュタインの名前がノーベル賞受賞者の中に見当たらなかったら、世界はどう思うでしょう?」 選考委員会は、アインシュタイン問題に嫌気がさし、離婚問題の泥沼で喘ぐアインシュタインを冷笑しながら、その救済のため、という、咋(アカラサマ)な侮蔑を隠そうともせず、止む無く、光電効果の理論的解明を受賞理由にしてノーベル賞を付与したのであった。結局、相対論は未知なる理論、空想以外のものではない、という暗黙の合意の下、棚上げされてしまったのである。