微睡日記抄 その7


色づく街並み。Colored townscape in Sendai。

店は混んでいた。時間待ち。取材の予定がオシテいる。不安気に、顔を彼女に向けると、「いいじゃない。折角来たんだから。」彼女は、ウェイティングシートに凭(モタ)れかかり、砕けたポーズのまま、めんどくさそうに吐き捨てる。初対面にも拘らず、この気さくな、というより、だらけた、はしたない女。突然、ショーケースを指し、「あれ、ちょっと、美味しそうじゃない?買って帰ろうかな。」と、独白とも、呟きともとれぬ言葉を発する。中華饅頭が好きなのか。にこやかではある。飄々(ヒョウヒョウ)と、ではなく、子供じみた無邪気さ。愛知県の生まれだそうである。「役者になろうと思ったのは、小学校五年生。有名になろうと決意した。それは、原田知世が全国区だったから。」一頻(ヒトシキリ)り、ヒストリーを、粗方(アラカタ)話し、女は、ジョッキをうまそうに飲み干し、いける口なのだ、と言う。「昔、薬師丸さんの物もよく見に行きまして、角川少女だったんです。帰ってから、寝る前に、姿見の前でパジャマで薬師丸さんのポーズを決める。機関銃なんかやっちゃう。高校を卒業するまで、思い出しごっこをしてた。」友達はいなかった。兄弟もなく、家と学校を行き来しているだけの十代だった、という。

「いつも一人遊びだった。コンプレックスに押しつぶされて、みそカツの町から、早くどこかへ脱出しなければ、と思い詰めていた。ちっぽけな田舎の、ちっぽけな自分が嫌になっていた。」18歳、大学進学のため上京。志望通り、有名国立大学に入学したものの、頭は女優志願でいっぱいで、忽ち、住所不定、漂流人生となってしまう。何故か、演劇界ではなく、出版業界へと流れつき、対談やインタヴューのセッティングや、経済雑誌の原稿取りになり、遂には、編集校正の助手を務めることになる。その間、同僚の部屋に寝泊まりし、遅い時は公園でホームレス状態だった、という。何処までが、真実か、虚実綯(ナ)い交ぜの人生録かもしれないが、苦労したのは、多分、本当だろう。「自分は大丈夫。自分は大丈夫、と言い聞かせながら、生きてきた。そのうち、映画の撮影現場で有名監督のインタヴューのスケジュール調整に行った時、話せる機会があって、役者になることが夢だったって言ったら、出してあげようって。不思議ね。」瓢箪(ヒョウタン)から駒。そういう訳で、この頭脳明晰・才色兼備の女性は、今、目立たないが、知る人ぞ知る女優さんとして活躍している。世の中とは、恐ろしいものである。

話はまだ終わらない。「わたしにだって、思い出に残るいい話もあるの。もし、二十代で女優になっていたらって思うと、悔しくてね。その頃、いい人がいて、私がコマネズミ生活に明け暮れていて、後ろめたくて本気になり様がなくて、だから、空想では、私が売れっ子の女優だったら、この人にきっと幸せな人生をプレゼントできるのに、とか、純粋に思ちゃってたの。思い出すとやりきれないのよ。」それでも、その彼は女性に言い寄って、何度か、プロポーズのようなことをしてくれたのだ、という。健気(ケナゲ)なヤツ。しかし、彼女は、間違った自己イメージに囚われていた。つまり、女優に成れなかったダメな女。そのうえ、「バレンタインデーに彼に送るチョコを松屋で買って、待ち合わせの山野楽器の前まで行くと、彼が別の女と立ち話をしてる。しかも、既に、明らかに貰ってる。どういうの?やっと、向こうも気づいて手を挙げたんだけど、ご機嫌直角になったわたしは、そのままタクシーに乗り込んで友達のうちへまっしぐら。良く事情も分からない友達のところへ泊めてもらって、そこでチョコもお裾分けして食べてしまって、翌日は彼とは話もしない。悲惨な結末だったの。」

かなり、酔ったようである。短い時間に、思い出したくもない話をしゃべらされ、さぞかし、不愉快であろうと思うのだが、中々、お開きにならない。仙台は静かでいい町、とか、今、カラオケはやっているか、とか、広瀬川の唄を歌いたい、などと、いつまでも終わりそうにない。しようがない。今のパートナーの方とはいつからの付き合い?「パーティーで知り合った。彼が夕飯を一緒に食べようって。部屋に呼ばれて。もう25年前。彼にしてみれば、挨拶程度のつもりだったんでしょうが、シメタねって思って。驚いてたわ、行ったら。」女性は、すぐその部屋に居ついてしまったそうな。彼が彼女のモノになるのは時間の問題であった。そして結婚。「結婚しちゃうと、仕事がなくなるのよ。変な世界よね。彼が働くから、食べてはいけるけど、当時は新婚の女優って出産育児がいつあるか、分かんないから、お仕事を獲るのが難しいって、そんな話ある?」そういうものですか?なんか時代錯誤ですね。

「わたしって、自己愛の塊だと思うの。誰よりも自分を愛している、と思うわ。それは美貌ってわけでもないし、優しい性格でもない。だからって、意固地でもないし、意地悪でも無いけど、でも、人を愛するってことは、基本、自分を愛するってことができない人には無理なんじゃないかなって思ってしまうの。労(イタワ)りって、自分に最も必要なことで、自分が労ってもらえるから、人を労ることができて、人を愛することができるんじゃないかって。」この女性、最後に来て、行き成り、人生哲学になってしまったが、実のある話で結構、ご活躍を期待しております、名も無き女優さん。
2020年10月25日
Posted by kirisawa
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