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1902年1月の下旬、ミレヴァは大変な難産の末、女の子を出産した。リーゼルと名付けられたその子は、幸福とは縁遠い人生を歩むことになる。ミレヴァは、A・Eの到着を心待ちにしていたが、それは叶わなかった。しかし、彼は誠意を見せた。「君のお父さんから手紙が届いたときは、君に何か悪いことが起こったのかと震え上がってしまった。でも、君が望んでいた通り、女の子が生まれたんだね。まだ、会ってはいないけど、リーゼルを愛しているよ。優しいキスを。君のジョニー。」A・Eの心に再び、確信ある愛の灯が点った。
A・Eは、不本意な教職の道に別れを告げ、優柔の迷宮から抜け出し、スイスのベルンへ居を移した。そして、差し当たって、収入を得るために、地方紙に、家庭教師の広告を出した。彼のこの大胆な行動の裏には、間もなく死去する父親の病状悪化という外的要因もあったことは否定できない。彼は、父権という絶対権力から自由になろうとしていたのである。さらに、1902年6月、A・Eは友人マルセル・グロスマン(Marcel Grossman 1878.4.9.-1936.9.7)の父親のコネで、スイス特許局の3級審査技師という公職に就き、収入も安定し、十分な研究時間も手に入れ、充実した家庭生活を送る基盤が整った。ミレヴァはリーゼルを両親に預け、A・Eの許へ向かった。
1903年1月6日、A・Eとミレヴァは、ベルンで、正式に結婚した。二人は誓い合った。「ボクの妻となった君と、漸く、科学に打ち込むことができる。ボクらは、古臭い俗物には絶対にならない。」「親愛なるヘレーネ。私はチューリヒにいた頃よりもずっと、彼を愛おしく思っています。彼は、私の、ただ一人の伴侶です。」
この頃、A・Eの周辺には、ベルンの若い知識人である、モーリス・ソロヴィーヌ(Maurice Solovine 1875.3.21.-1958.2.13.)、コンラット・ハビヒト(Conrad Habicht 1876.12.28.-1958.10.23.)の二人を核に、進展著しい科学の世界に魅了された知人が集う、一つの啓蒙的なグループができていた。A・Eとミレヴァは、彼らを「オリンピア・アカデミー」と呼んで歓迎した。その集まりは、夕食会でもあり、討論会でもあり、最新の知見を交換し合う懇談会でもあった。その時のミレヴァの様子を、ソロヴィーヌは、次のように述べている。「会合の間、ミレヴァは静かに耳を傾けていたが、時折、議論に加わることもあった。彼女は控えめだが、知的で、明らかに家事より物理学に興味があるようだった。」
結婚して数カ月の間に、A・Eの論文が2つ、「物理学年報」に掲載された。当然ながら、「オリンピア・アカデミー」の面々は喝采した。快挙であった。A・Eの未来は一気に開けたように思われた。彼は将来を嘱望される時代のエースと目されるに至った。A・Eとミレヴァの幸福への階段は、まっすぐ頂点へと繋がっているかのように思われた。が、しかし、それは、儚い幻に過ぎなかったことが、すぐ判った。夢は瓦解した。恐ろしい現実がパックリと口を開いて、彼らを飲み込もうとしていた。その報せは、悪魔のようにやってきた。ミレヴァは動転し、自分自身を喪失しそうになった。楽しい語らいの毎日は、表向きは続けられていて、その陰で、見捨てられた子供の孤独な悲鳴と泣き声が、二人を苛(サイナ)むのだった。リーゼルは猩紅熱(ショウコウネツ)だった。症状は発熱と赤色発疹が主で、抗生物質が開発されるまで、リウマチ熱などを合併併発することもある、危険な感染症であった。
A・Eはリーゼルの存在を公にしてこなかったし、当時の社会通念上できなかったのは、無理もないことだった。リーゼルのような運命の生命が当時、珍しい存在でなかったとしても、二人の取った態度は決して容認できるものではない。結果的に、個体に標準的な成長にも値しない境遇に甘んじる立場を与えたに過ぎない。愛情の欠如した養育環境に個体を放置し、自分たちの義務を放棄したも同然であった。ミレヴァは、動きの取れないA・Eを横目に、全て自分で事を運ばなければならなかった。ミレヴァは、懸命にリーゼルを看病してくれている両親の元へ向かった。「全ては悪い方へ進んでいます。私の体調も良くありません。あなたは何をしているの?愛しいジョニー。すぐに手紙をください。」この時、ミレヴァは、二人目を妊娠していることに気づいた。
A・Eはベルンを動かなかった。「1903年9月。リーゼルは本当にかわいそうだ。猩紅熱は尾を引きやすいし、一刻も早く治ることを祈るしかない。」そして、問題の“登録”に付いて、短く触れた。「あの子の登録についてだが、後々、問題が起こらないように、慎重にやらなければ。」二人はもうだいぶ前から話し合っていた。結婚以前に生まれたリーゼルをどうするか。身勝手な二人である。自分たちの子として育てるのは無理である。二人は里子に出すことを真剣に考えた。しかし、身近な友人以外頼めそうな人はいなかった。そして、それも、殆どダメだった。リーゼルの記述はこれが最後である。消息は分かっていない。