幸運の輪[Wheel of Fortune];煉獄への誘い  その1


 冬は、過ぎつつある。眠りは、まだ深く、夢は、見果てぬ夢として、永劫の時間の内を漂う。

世界は、まだ、未知なるものであった。光も生まれていなかった。しかし、entropyは上昇していた。“熱”が誕生しつつあり、“誕生”が迫っていることだけは予感された。何が現出するのか、は、考えようもない。ただ、それは迫っているのであり、不可逆的現象、としか表現し得ない何かが発生することを、その事象は予定していた。それは何者かでもない、そこでは観測すらできぬ、どこまでもzeroに近いenergyの欠片(カケラ)、断片があったが、何故、それが生じたかは、誰にも解らなかった。知り得ない何かが起動し、運動が始まり、今や、“誕生”しようとしている。何の“誕生“か?世界worldか?宇宙universeか?大体、この現象は定常的でない。さらにentropyは増大し、energyは膨張し、熱源は拡張され、Big-Banに至ったとされる。それが“創生”なのかもしれない。

受精の時点では、記憶の回路はまだ時系列的に作用するようには稼働していない。情動の認知も無理である。無意識と意識は、未分化で記憶の覚醒まで相互に認知しえない。その束の間を支配する幻影は、本能であり、底知れぬ欲求である。その幻影は実体に辿り着くべく、定められた道程を進んでいくだけに過ぎない。生存がすべてであり、脳が垣間見る夢がどんなものかなど知る術もなく、一連の成長growing processは開始される。
生命は何かの幻などではない。実体であり、存在であり、宇宙の断片、一部である。しかも、単独で起動するかのように見えて、実は星や自然、他の生命と連携して生存しているのであり、世界の構成要素であるとともにそこに意思を組み入れる主体でもある。

さて、ヒトは様々な幻影を抱く。文明の歴史は、India,Mesopotamia,中国辺りから、定住した人々によって始まったらしい。その経済的基盤は農耕と商品流通であり、貿易も行われていたことも明らかになっている。勿論、集団をleadするgroupがいて、それは、軍、律法、財政などに機能分化しており、さらに上位に統治者を置くようになっていった。こうした機構を維持していくため、神権を頂点とする宗教を創設してidentityにすることが全域で行われたのも奇怪なことである。この流れは、今日まで続き、国家という概念もこれに付随してできたものである。

古代から現代にいたる幻想は次のようなものかもしれない。

全ては混沌chaosから始まり、chaosへと回帰する。Back to the egg。α&Ω。閉じられた輪環(円環)ring=TAROT。運命の循環a cycle of fate=karma(因果応報・輪廻転生の定め)が世界を支配すると暗に信じられた時代は終わりを迎えつつある。もはや、kabbala(受諾・従属)も必要ない。しかしながら、惑星earthには、因習的社会は残存し、差別意識もなくならない。ここへきて、理性・知性・感性の自由を奪おうとするpopulismが大衆の間に蔓延し、次代の展望を描けないまま、時代は地滑りland slide 的変動へ突入した。
時空間連続体の流れは同軸を繰り返さない。振り向きもしない。類似する軌道を描いても同期する空間は異なる。世界universe;worldは一期一会の幻影ではない。普遍的世界の一部a part of universal worldであり、夢幻(無限∞、limit)のMobius strip(輪環ring)mythology(神話)の魔術・呪術的世界とは無縁である。来るべき次代も終焉した閉塞空間ではない。世界が開いていることを誰もが知っている。運命は繰り返さない(過ちも繰り返さない)。あらゆる可能性を排除しない。新時代の到来、それこそが未来であり、今だった。
その精神の時代Aquarius spirit eraは、ここから始まる。素粒子と反素粒子の総数の差、即ち、対称性の破れにより生成されたこの世界に、生命は存在する。何故か?生命とは、惑星にとって、どういう現象なのか?これは、何らかのprocessなのか?何の形象なのか?answer is blowing wind、isn’t it?

海は静寂のしじまで波打ち、胎内での生命の芽吹きを待つ。その夢の中で生命体への変貌metamorphosisが始まる。
水中の双魚は生命の糸によって結ばれており、互いに宿す所に従い、生まれ出るべき世界へと誘(イザナ)われていく。

 魂soulとも呼ばれ、夢dreamとも呼ばれ、希望hopeとも、命lifeとも呼ばれたそれは、今まさに形となって外界に現れようとしていた。その現出は誕生birthと呼ばれ、いかなる場合でも祝福の対象なのである。不安と期待の“時”は過ぎゆく。原始の海Tiamatにおいて夢は生まれた。その揺り籠に抱かれて生命は希望となって、大地Terraへと進出する。画して、惑星earthにも世界worldが現出し、二重螺旋(ラセン)のDNAの物語storyの幕が上がる。
 しかし、性はまだ未分化の状態で、全てがメスだった。当然、オスの性が成り立つまでは単性である。従って、メスもその時が来るまで認証されることは無かった。かかる系譜ののちに有性生殖による一対二体の繁殖は、地上、海中に数多(アマタ)の動植物の繁栄をもたらすこととなり、やがて、その一つとして、猿人から進化したヒトhomo-sapienceも仲間に加わるのである。

 原罪とは、そもそも無過失である事実が、過失とされる強迫観念によって生み出された無意識の刻印であって、その認証は本能に帰着する。この無意識下に沈濁し、流浪流転を繰り返す加害妄想の根底には、潜在的な(遺伝子情報に起因する)キズ(傷)があるのだろう。この後ろめたさ(引け目)には、自己責任を負う負担から逃れようとする逃げの論理escape logicが潜んでおり、視点のすり替えによって自己欺瞞を肯定し、未熟さや倦怠などからくる意欲後退anti motivationを正当化することにつながっている。
2019年06月07日
Posted by kirisawa
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