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要するに隆明サン(吉本隆明 1924.11.25.-2012.3.16.)は大衆迎合・大勢順応の左翼を名乗る変節漢である。存命中、academicなliberalや既成左翼と論争をくり返し、多数(沈黙の多数を含む)こそ民主主義の原点という立場から、特に若者(young age;今は死語)やsub-cultureなどsensitiveで次代の多数派(とはならなかった。)を形成しそうな一部の論調を取り上げて擁護したことが、誤解を生む一方で評価され、息の長い論客として知られることになった。叉、80年代に国民国家の消滅に言及していて、その論理的裏付けはともかく、直感的予言は特筆に価する。
ただ、隆明サンの評価はacademismへの抵抗の側面が強く、ゲリラ(guerrilla;不正規兵)的な在野の思想家と見られていたため、中々定まらない。しかも、活動は都市部に限られていて、結局、東京ピエロpierrotとも呼ぶべき、Comedie Japonaise、即ち日本喜劇団の一人とでも言うべき、その時代の象徴的論客だったと言うしかない。糸井(糸井重里 1948.11.10.-)や陽一(渋谷陽一 1951.6.9.-)に支持された先駆的評論家も今となっては、過ぎ去った革新という感じである。