回想のK・加藤;もう帰ってこないヨッパライの軌跡 Reminiscence and trajectory of Tonoban


 自称、加藤和彦評論家であるので、彼のことについても書かなければならない。彼とは旧知の仲というわけでもなく、ただ、その当時、仕事の関係上会う機会があったという程度の仲である。彼は五つ上の先輩で、勿論、敬意を払っていたのであるが、仕事上の不手際もあって、彼にはよく叱られた。そうでなくても、会った時、不機嫌な様子で、いろいろ憤懣のハケ口にされたこともある。
 しかし、彼程、論理的で筋の通った話ができる人も滅多にいない。首尾一貫して、自由・愛を熱く語り、不正は心から嫌い、命の尊さをくり返す姿勢は今でもハッキリと頭によみがえってくる。当然だが、音楽についても、よく語っていた。クニ河内氏、青木望氏については度々言及があり、自分もオーケストレーションを将来書くつもりであるとも言っていた。
 そういう意味では少なからぬ野望を抱いていたように思う。ロンドンも、その第一歩のはずだった。思わぬことでミカバンドは解散する羽目となったが、後にも先にも、彼との付き合いも、その頃を境に途絶え、後の動向はメディアに載ったものでしか知り得なかった。2009年10月16日、加藤和彦氏は自死した。そのときの遺書に、生きる場所がもう無い、との一節があったと知り、彼の絶望に深く同情したが、昔、あの何でもやり過ごしてしまう振りで苦労していた彼を思い出し、あのままだったのかと考えてしまった。
 かずみサン(安井かずみ 1939.1.12.-1994.3.17.)と再婚してから、いきなりゴシックめいたり、ゴージャスな暮しぶりだけが報じられ、ガンでかずみサンが失くなると、自分のバースデイにその本葬をやったり、余りにもdramaticに現実を演出して、それはヤリスギだろうと思ったが、要するに、ヨッパライ以来の自作自演self-produceの毎日に終始した一生だったのではないか?来年で死後10年。早い10年だった。
2018年12月01日
Posted by kirisawa
MENU

TOP
HOME