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渇きとは,何時の時代にもある渇望のことである。
詩の成立と物語の世界。世界は舞台,男も女も皆役者といったのはシェークスピアだったが,それを遡ることかれこれ1千年以前の古代ギリシャでは,ミメーシスmimesis(擬態)という模倣を示す概念が既に存在し,それを体現する言葉として,思索(詩作)が盛んに行われていた。有名なアリストテレスの弟子たちがまとめた「詩学poritica」は演劇の初期段階が一連の詩の朗詠から出発したことを示唆している。
既に,ホメロスの「イリアス」・「オデュッセイア」などは紀元前8世紀ごろには叙事詩として謳い上げられており,それに続く紀元前6世紀頃には,ギリシャの三大悲劇詩人アイスキュロスの「テーバイ攻めの7将」・「アレスティア3部作」,ソポクレスの「オイディプス王」・「アンティゴネー」,エウリピデスの「メディア」・「アンドロマケ」などが盛んに上演されるようになっていた。詩人たちは,韻文形式で吟詠したものと推察される。そして,勿論,喜劇もポイエーシスpoiesis(創作;非存在から存在への脱皮)の一分野として存在した。それは,アリストパネスの「女の平和」のような戦役を直接非難するような社会派の詩人たちも存在したことでも分かるように,フィクションであっても,現実をヴァーチャルな事実に置き換えて表現することも行われていた。
最も後代のニーチェなどは「悲劇の誕生」の中で,悲劇とは,片やアポロンの理性的造形芸術,もう一方のディオニソスの音楽芸術の快楽的傾向の二つを併せ持つ最高芸術と絶賛してやまなかった。彼の脳裏には常にワーグナーの楽劇があり,そこで展開される虚構でありながら虚構でないもう一つの世界の真実がそこに表現されていることを見抜く洞察力を聴衆に求める意図があった。ニーチェにとって,ワーグナーのその世界は普遍的であり,その類稀なる文学的,あるいは音楽的才能を開花させ,聴衆を熱狂に引きこむことこそ彼の真の目的であったのである。
しかし,それはニーチェのワーグナーに対するコンプレックス,劣等感の成せる業(ワザ)であり,それは,時に彼が育ったナウムブルクの中世的景観から脱け出せない自分自身に対する幻滅であった。ニーチェのニヒリズムには,誰からも自分自身を受け入れてもらえないという孤独のシニシズムと,常に満たされない主体的自我の喪失がその根底にあり,愛情訴求の道も断たれ,自らが失敗した人生と結論したことにより,出口無き迷宮の虜(トリコ)になってしまったのかもしれない。彼にとってのドラマ,顛末は才気に溢れた若者が居場所を失い,放浪の末,ヴォルテールの「カンディード」よろしく,諦観の哲学に行き着いただけだったのかもしれない。