Melponeme 6章


Melponemeの渇き 6章
 

渇きとは,何時の時代にもある渇望のことである。

「カンディード」は18世紀の啓蒙思想家ヴォルテール(Voltaire 1694.11.21.-1778.5.30.)のピカレスク小説(主人公が一人称の形で告白する形式の退廃小説)である。話は,無垢で楽天的な若者カンディードの人生の遍歴とその失望を描いた当時の問題作。哲学者パングロスの人生観,「今より最善の時は無い。」という最善説を信じ込んだ若者は,徹底した悲観的・絶望的な現実を次々体験させられる。そして,遂に,カンディードは最終的に真理は人智の及ぶところではなく,人生とは無益な冒険に過ぎない,と悟る。

1955年頃,レナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein 1918.8.25.-1990.10.14.)は劇作家リリアン・ヘルマン(Lillian Hellman 1905.6.20.-1984.6.30.)から「カンディード」の音楽劇を作る提案を受ける。1952年,リリアンは悪名高い下院非米活動委員会の召喚を受けており,夫ダシル・ハメット(Samuel Dashiel Hammett 1894.5.27.-1961.1.10.)はアメリカ共産党員だった。しかし,リリアンは一言もそれには触れず,奸物ジョセフ・マッカーシー(Joseph McCarthy 1908.11.14.-1957.5.2.)に付け込む隙を与えなかった。リリアンの態度は一貫しており,彼女はロシアのボルシェビキ革命の肯定者であり,スターリン(Iosif Stalin 1878.12.21.-1953.3.5.)の指導部を支持した稀有な知識人である。彼女はトロツキー(Lev Trotsky 1879.11.7.-1940.8.21.)のアメリカ亡命にも反対し,有産階級の無責任な,都合の悪いことに目を瞑る偽善的態度を咋(アカラサマ)に批判し,革命の犠牲者に対しても,やむを得ないと弁明する立場を取った。折りしも時代はビートニクの色に染まり始めており,自由を求める文学者やファッションに湧いていた。

リリアンはルイジアナ州ニューオリンズのユダヤ人の家庭に生まれた。1934年,新進の戯曲作家のデビュー作「子供の時間」はブロードウェイで上演され,連続691回公演という大ヒットとなった。以来,名声を得たリリアンは戯曲の世界では,押しも押されぬ大家となっていく。リリアンとバーンスタインの関係もそうしたショービジネスの世界から始まったと考えられるが,バーンスタインと言えば,「ウエストサイド・ストーリー」である。リリアンは丁度ブロードウェイ・ミュージカルに声が掛かったバーンスタインを見逃すはずもなく,自分の企画である「カンディード」の話を持ち込んだのである。その後,「キャンディード」と改題され,脚本はリリアン,音楽はバーンスタインのコンビで1957年,上演されたが,講評は芳しいものではなかった。しかし,バーンスタインは生涯,改訂を続け,その都度その都度,評価は高まり,1989年版の序曲はバーンスタイン公演の定番となった。

1975年,イタリアのドキュラマの巨匠ヤコペッティ(Gualtiero Jacopetti 1919.9.4.-2011.8.17.)によって「カンディード」は映画化され,その戯画化されたストーリーで反響を呼び,広く知られるようになった。そして,リリアン・バーンスタイン版の「キャンディード」にも回りくどいオペラというより,分かりやすいミュージカルとして光が当たることになり,リリアンの名は不動のものになる。又,リリアンの戦争中の反ファシズム運動の一端を捉えた1977年公開のフレッド・ジンネマン(Fred Zinneman 1907.4.29.-1997.3.14.)の映画「ジュリア」によってその政治的立場も明らかになり,その内容についてはフィクションの部分も多くある,との指摘があるが,概(オオム)ね,事実に近い作品であろうと思われる。リリアンは大衆と共に歩み,共に苦しんだ不屈の闘士であり,熱い心の持ち主であった。79年の生涯だった。
2022年09月07日
Posted by kirisawa
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