むかしばなし once upon a time 第2章


むかしばなし once upon a time 第2章

久美子は燥(ハシャ)ぐでもなく,しどけなく,ただじっと黙って座っていた。それは,いつものあっけらかんとしたお惚(トボ)け混じりの表情とは違う,洗練された色香があり,万物の霊長であるホモサピエンスのメスに相応しい淑女というものに変容していた。つまり,化粧と言うもので化けの皮が剝がれないように装い,面接官の眼をく眩(クラ)ませるべくただ大人しくしているのだった。ここを逃しては,就職浪人である。銀行と言う品格がものをいう,抜け目なく,お堅い職業に就くことは,久美子にとっても夢であり,両親にとっても最善最良の選択肢であった。面接官の鋭い質問にも難なく答え,いよいよ,最後の関門に差し掛かった時,久美子はさながら,稲葉の白兎的心境になっていた。それは,自制心の頂点であり,思わず笑みが浮かんだ。「何か面白いことでも?」面接者の一人がそれに気づいて言った。「いえ,別に。」辛うじて,久美子は堪(コラ)え,試験場を後にした。

久美子はジェンダーやフェミニストを気取る女でない。ただ,姉が結婚後間もなく,乳がんで左胸の全摘手術を受けたことにショック受けただけであった。それが,久美子に自分が女であることの自覚を促した。彼女は男性の補助的仕事に従事することに対しても特に抵抗も無かった。ただ,心の中では松任谷由実的ロマンスと冒険的生活への憧れを持っていることに自覚があり,どういう訳か,史上初の1920年代の女流飛行家アメリア・エアハート(1897.7.24.-1937.7.2.行方不明)に関心があった。それはアメリアの偉大な事績についての賞讃と言ってもよい。所謂,実際に存在した強い女としての偶像をそこに発見していたのかもしれない。

ダイバーシティが当たり前になりつつある昨今,久美子には,そろそろ男性社員の営業の仕事にも守備範囲を広げてもいい時期が来たと思うようになっていた。その融資案件は,部長決済が必要な難題を含んでいた。普通なら,通りそうもない案件だったが,銀行は久美子をそのプロジェクトの一員に加えることを決定した。久美子はその夜一人祝杯を挙げた。そういう訳で,彼女はボクの事務所に来るようになった。舌を巻くような弁舌と明晰な頭脳。人を圧倒するようなことも無く,こちらの意見にも耳を傾け,合意書の作成もスムーズに進む。この窓口係がこんな頭の切れる,的確な指摘のできる逸材だったとは。その後,二つのプロジェクトの決済で彼女のお世話になったが文句のつけようがない出来であった。

その彼女が横浜の支店に主任として栄転することになり,挨拶に来た。通り一遍の挨拶の後,彼女は言った。「アメリア・エアハートの話,本当に面白かったです。彼女の生き方を教えて頂き,ありがとうございました。アメリアのように絶対にあきらめませんから。」
彼女の生き方に期待しよう。久美子,万歳!!
2022年03月26日
Posted by kirisawa
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