Sophie × Pistis (智慧×信仰) stage 2


K理論は、Kirisawa理論ではない!(Theory K is not Theory Kirisawa !)

何だか恥ずかしい出だしで始まってしまったが、実はこれは、量子力学でも、先端に属する超弦理論のD-braneとK理論に関するものであり、ここは、京都大学基礎物理学研究所の杉本茂樹博士の論文と、現在、超対称性理論で最も注目されている、エドワード・ウィッテン(Edward Witten 1951.8.26.)とネーサン・サイバーグ(Nathen Seiberg 1956.9.22.)の最近の動きを参考に話を進めていくことにしよう。

もともと、K理論は純粋な数学サイドの理論であって、20世紀の物理学が標榜し、空想した量子重力を含む無矛盾な統一理論を求める過程で物理学サイドによって出現した事象である、超弦理論やD-braneは、K理論とは、ほぼ無関係に進展していった経緯がある。其々の独立した、異なる分野に属する研究者は、この二つの流れが、いつか、同じ領域same territoryで合流し、相関する事象に変化するとは、思ってもみないことであった。最初の気づきfirst notice はエドワードか、ネーサンか、のどちらか、だったに違いない。

さて、ここで、夜空はなぜ黒いか?ということについての論争が、意味するところは何だったのか。これに触れねばならない。宇宙は古代から、無限(夢幻)であると信じられてきた。その一つの証拠として、古来、人々は夜空を見上げてきたのである。では、何故、夜空は白くないのか?古代から、宇宙は、無限に広く、無限に遥か昔から続いており、その終焉は永久に来ない。かつ、宇宙は不変であり、悠久の時の流れの中にある、と信じられてきたのである。そして、余計なことではあるが、これが外的客観性としての、信仰、を生んだのである。

天空は神の住処とされたが、それには、太陽系外の宇宙空間には星々が満ちていなくてならない。映画「2001年;宇宙の旅」の後半、外宇宙の只中を、その何者かの住まいへの航行途中、ボーマンは言った。「星がイッパイだ!」もし、そうであったなら、夜空はまばゆいほどの白い光に満たされるだろう。中世最強の天文学者、ヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler 1571.12.27.-1630.11.15.)は、宇宙の天井はドーム状になっており、神の一日である昼間は開いているが、日没とともに、天国の光は遮られ、故に夜空は黒いのだ、と言い放った。この謎は、その後、何百年も、歴史を彷徨い続け、まだ蒙昧だった天文学者たちの悩みの種となり、今日に至る?、では、解決にならない。

この問題の矛盾を突き、一気に答を出したのは、アメリカのアマチュア天文学者で「黒猫」や「赤死病」を書いたアメリカン・ゴシックの作家のエドガー・アラン・ポー(Edgar Alan Poe 1809.1.19.-1849.10.7.)であった。彼は、そのノートや著作に、それを書いている。何故、夜空は黒なのか、という、天文学最大の謎に対し、彼は、易とも簡単に、「宇宙は有限(幽玄)であって、時間的にも、無限(夢幻)に遡ることは不可能だからだ。」と、言ってのけた。これは非常に重大な意味を持つ言葉であった。つまり、宇宙には、始まりがあった、ということを公に明らかにしたのである。

これは、近年のビッグ・バンやインフレーション理論に繋がる客観情報を論理的分析によっていち早く、予見した慌そるべき知覚の勝利というべき、思考訓練の賜物であって、所謂、直感だけではない、情報解析能力による。ところで、何故、この話から出発したか、というと、このシリーズのテーマは、言わずと知れた量子力学である。その前段として、宇宙の創生や素粒子物理学を語っておくことは、かなり、重要である。物理教室ではないので、砕けて雑学として読んでいただければ結構です。
2020年11月20日
Posted by kirisawa
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