HOME > 幸運の輪[Wheel of Fortune];煉獄への誘い その8 最近の投稿 不思議の国の高度理系人材の不足 2 不思議の国の高度理系人材の不足 1 ショートコラムの憂鬱 2022 part 2 知らず語りのレトリック。 幸運の輪 [wheel of fortune];煉獄への誘い その11 アーカイブ 月を選択 2022年12月 (1件) 2022年11月 (3件) 2022年10月 (3件) 2022年09月 (12件) 2022年08月 (4件) 2022年07月 (3件) 2022年06月 (10件) 2022年05月 (4件) 2022年04月 (2件) 2022年03月 (2件) 2021年12月 (7件) 2021年11月 (7件) 2021年10月 (9件) 2021年09月 (3件) 2021年08月 (10件) 2021年07月 (5件) 2020年11月 (10件) 2020年10月 (6件) 2020年09月 (8件) 2020年08月 (11件) 2020年07月 (12件) 2020年06月 (15件) 2020年05月 (11件) 2020年04月 (3件) 2020年03月 (11件) 2020年01月 (3件) 2019年12月 (3件) 2019年11月 (9件) 2019年10月 (5件) 2019年09月 (5件) 2019年08月 (5件) 2019年07月 (7件) 2019年06月 (6件) 2019年04月 (1件) 2019年03月 (5件) 2018年12月 (4件) 2018年11月 (1件) 2018年08月 (2件) 2018年05月 (2件) 2017年11月 (1件) 2017年08月 (1件) 2017年06月 (2件) 2017年05月 (1件) 2017年04月 (2件) 2017年03月 (3件) カテゴリー カテゴリーを選択 コンピューター AI トピックス ドイツ ネコ 世界 人 占い 哲学 地球 宗教 工学 心理学 手塚治虫 文学 歴史 環境 生活 生理学 真理 社会 神聖ローマ帝国 科学 経済 自我と人格 言葉 言語 近代ドイツ 運命 音楽 幸運の輪[Wheel of Fortune];煉獄への誘い その8 宙空の魔術師 Magician on the Air 序章 魔術師の独白 prologue his confession ニムロデNimrod(反逆する者)を疎(ウト)んじて、塔を破壊し、言葉を乱した神は、果たして、気高く、誇り高い、御座に座るべき存在なのだろうか?ニムロデNimrodは、闘いを挑んだ由(ワケ)ではない。権力の簒奪者(サンダツシャ)でもない。嫌疑があるとすれば、神の権威に挑戦的な態度を執(ト)った、という、ただ、それだけである。そうした、形ばかりの挑発に対し、神は怒り、愚かな者に罰を下したのだ。意味のないことである。 第1章 知ったかぶり chapter 1 smart ass “神”の厳格なイメージを、どこかで皆の脳にある“神”のイメージと符合させようと、野蛮な宗教家たちは知恵を絞(シボ)ったが、個々人の持つ“神”のイメージは、大体、それとは合致しない。合致する筈(ハズ)も無かった。莫迦(バカ)げたことだ。しかし、神を祀(マツ)る人々は一律に、神のイメージを固定化し、祈りを捧げることに熱心で、崇(アガ)め奉(タテマツ)る儀式に没入していた。それは、“神”には関係ないことだ。だから、それ以後も、“神”は、中々、純粋な信仰と分離しなかった。様々な宗派が、入り乱れ、様々に加工された“神”が交錯した。信仰は試されていて、“神”の聖なる御姿は、一人一人の脳(心)に、それぞれにイメージされ、結局、それは、内在する究極の非存在として認識されることとなった。それが、現代である。 第2章 当てずっぽう chapter 2 guessing “神”の概念が、何故、脳に固着しているか、というと、それは、そもそも、最初から、遺伝子のゲノムgenomeに組み込まれていたから、としか、考えようがない。そう、考えるのが、自然ではないだろうか?それは、恋愛や摂食などと同じく、本能的な生命生存活動に関わる機能をサポートするシステムと直結する情報処理装置として、組み込まれたのではなかったか。それが、どんな理由によるものかは、想像する他ないが、多分、霊長類(ホモ・サピエンスだけとは言い切れない)は、その固有の種の繁殖に際して、おそらく、言語的特性を含めた個体間のコミュニケーションと、摂食と生殖の時間と相互の物理的距離を集団の中で担保しなければならず、必然的に、客観という意識外概念、つまり、“神”、を共同で共有することになったものと考えられる。つまり、基本的には、個体間の、少し、単位を拡張すれば、生殖単位レベルの、即ち、家族と家族の間の不必要な接触を避け、一方で、捕食のための狩猟・労働は、血族一同協力するという生存生産パターンの持続を図る構造が、“神”のシステムに秘められた一義的な意味だったような気がする。 第3章 こじつけ chapter 3 prank それでは、信仰はどういうプロットで語られるべきだろうか?信仰とは、セロトニンの安定分泌を基本とし、全生体の恒常性維持のためのホルモン・バランス機構をコントロールする、脳のシステム・マネジメントのことを言う、のであろうか?だが、信仰は、飽くまでも、自分の信条に基づく行為である。簡単に言えば、自分を客観的に見直し、真摯に祈り、願い、自分の情緒を安定させる行為である。行為というのが妥当か、どうかも、怪しい気がする。ただ、これは、脳内の情報処理の問題であろうと思(オボ)しきことはぼんやりと分かる。脳だけに関わることでないことも察知できる。そして、眠りとも、関係があるだろうことも。 信仰という機能は、確かに、何を信じているか、は別として、誰にでも装置されている。 この機能に、どんな効果があるのか、と言えば、それは、偏(ヒトエ)に安定の確保、ということに尽きる。つまり、困難な命題、例えば、悩みと遭遇した場合の、適切な処理である。その命題、悩みの中身は色々だが、信仰という機能は、その時、障害を除去できなくとも、一時停止することによって、個体を守る役割を果たすのである。 終章 幕引き epilogue magic curtain “神”は実存しなかった。が、“神”は人類必携の必需品だった。それは、大変簡単に持ち運べて、便利で、必要な時に、必要な場所で、必要なだけ、使うことのできるスマホの様な、親近感のある装置であった。それは、種(主=神)の表象であり、人類繁栄の恙(ツツガ)なきを寿(コトホ)ぐ象徴であった。群れは、種(主=神)として一体となり、人類は進化の頂点に向かって、一段と歩みを速めているようだった。そして、人類は、何時破滅してもおかしくない、熱核兵器の傘の下での生活を続けているのである。何を見据えて生きているのか。人間の心の闇は本当の謎である。それが根差す本能の闇に気づくことは、先ず、無い。精神(誠心)の秘められた構造を、解き明かすまで、人類の真実探求の歩みは止まらないのかもしれない。 その誠実さと傲慢さを知り尽くしているのは、“神”だけだった。“神”のみぞ、知る。そういうことである。 世界 運命 2020年06月18日 Posted by kirisawa 戻る
序章 魔術師の独白 prologue his confession
ニムロデNimrod(反逆する者)を疎(ウト)んじて、塔を破壊し、言葉を乱した神は、果たして、気高く、誇り高い、御座に座るべき存在なのだろうか?ニムロデNimrodは、闘いを挑んだ由(ワケ)ではない。権力の簒奪者(サンダツシャ)でもない。嫌疑があるとすれば、神の権威に挑戦的な態度を執(ト)った、という、ただ、それだけである。そうした、形ばかりの挑発に対し、神は怒り、愚かな者に罰を下したのだ。意味のないことである。
第1章 知ったかぶり chapter 1 smart ass
“神”の厳格なイメージを、どこかで皆の脳にある“神”のイメージと符合させようと、野蛮な宗教家たちは知恵を絞(シボ)ったが、個々人の持つ“神”のイメージは、大体、それとは合致しない。合致する筈(ハズ)も無かった。莫迦(バカ)げたことだ。しかし、神を祀(マツ)る人々は一律に、神のイメージを固定化し、祈りを捧げることに熱心で、崇(アガ)め奉(タテマツ)る儀式に没入していた。それは、“神”には関係ないことだ。だから、それ以後も、“神”は、中々、純粋な信仰と分離しなかった。様々な宗派が、入り乱れ、様々に加工された“神”が交錯した。信仰は試されていて、“神”の聖なる御姿は、一人一人の脳(心)に、それぞれにイメージされ、結局、それは、内在する究極の非存在として認識されることとなった。それが、現代である。
第2章 当てずっぽう chapter 2 guessing
“神”の概念が、何故、脳に固着しているか、というと、それは、そもそも、最初から、遺伝子のゲノムgenomeに組み込まれていたから、としか、考えようがない。そう、考えるのが、自然ではないだろうか?それは、恋愛や摂食などと同じく、本能的な生命生存活動に関わる機能をサポートするシステムと直結する情報処理装置として、組み込まれたのではなかったか。それが、どんな理由によるものかは、想像する他ないが、多分、霊長類(ホモ・サピエンスだけとは言い切れない)は、その固有の種の繁殖に際して、おそらく、言語的特性を含めた個体間のコミュニケーションと、摂食と生殖の時間と相互の物理的距離を集団の中で担保しなければならず、必然的に、客観という意識外概念、つまり、“神”、を共同で共有することになったものと考えられる。つまり、基本的には、個体間の、少し、単位を拡張すれば、生殖単位レベルの、即ち、家族と家族の間の不必要な接触を避け、一方で、捕食のための狩猟・労働は、血族一同協力するという生存生産パターンの持続を図る構造が、“神”のシステムに秘められた一義的な意味だったような気がする。
第3章 こじつけ chapter 3 prank
それでは、信仰はどういうプロットで語られるべきだろうか?信仰とは、セロトニンの安定分泌を基本とし、全生体の恒常性維持のためのホルモン・バランス機構をコントロールする、脳のシステム・マネジメントのことを言う、のであろうか?だが、信仰は、飽くまでも、自分の信条に基づく行為である。簡単に言えば、自分を客観的に見直し、真摯に祈り、願い、自分の情緒を安定させる行為である。行為というのが妥当か、どうかも、怪しい気がする。ただ、これは、脳内の情報処理の問題であろうと思(オボ)しきことはぼんやりと分かる。脳だけに関わることでないことも察知できる。そして、眠りとも、関係があるだろうことも。
信仰という機能は、確かに、何を信じているか、は別として、誰にでも装置されている。
この機能に、どんな効果があるのか、と言えば、それは、偏(ヒトエ)に安定の確保、ということに尽きる。つまり、困難な命題、例えば、悩みと遭遇した場合の、適切な処理である。その命題、悩みの中身は色々だが、信仰という機能は、その時、障害を除去できなくとも、一時停止することによって、個体を守る役割を果たすのである。
終章 幕引き epilogue magic curtain
“神”は実存しなかった。が、“神”は人類必携の必需品だった。それは、大変簡単に持ち運べて、便利で、必要な時に、必要な場所で、必要なだけ、使うことのできるスマホの様な、親近感のある装置であった。それは、種(主=神)の表象であり、人類繁栄の恙(ツツガ)なきを寿(コトホ)ぐ象徴であった。群れは、種(主=神)として一体となり、人類は進化の頂点に向かって、一段と歩みを速めているようだった。そして、人類は、何時破滅してもおかしくない、熱核兵器の傘の下での生活を続けているのである。何を見据えて生きているのか。人間の心の闇は本当の謎である。それが根差す本能の闇に気づくことは、先ず、無い。精神(誠心)の秘められた構造を、解き明かすまで、人類の真実探求の歩みは止まらないのかもしれない。
その誠実さと傲慢さを知り尽くしているのは、“神”だけだった。“神”のみぞ、知る。そういうことである。