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ボクたちの水汲みと薪割りは、終わった。だから、ボクたちの試行錯誤(trial and error)と思考実験(gedanken experiment;thought experiment)も終わった、ということだ。babel(混在)が始まり、幽玄(有限)と夢幻(無限)、logosとerosなど、それぞれの既定対立概念は解体され、即ち、二項対立関係は弁証法的に、止揚され、解消され、新たなる矛盾の元が創出される。その waveは行きつ、戻りつ、いつ果てるともなく、時空を彷徨(サマヨ)い、流離(サスラ)う日々を繰り返す。雫名(シドケナ)く、物憂気(モノウゲ)に、砂漠を見つめる瞳には、何の希望も写っていない。その砂漠には、詩人の亡骸が、信じられないことに、その死相(思想・詩想)と共に、真(マサ)に、そこに眠っているのだ。
会話は、意味をなさない。抜け道は用意されており、何時でも、はぐらかすことができる。だから、意味をなさない。内在と実存の矛盾は気にならなかった。どちらかが、常に冷静であり、都合の良い方を選ぶから。論理は矛盾するが、行動は矛盾しない。そういう生き方は、珍しくなかった。
砂漠の彼方に打ち捨てられた、詩人の魂を拾い上げる者は、いない。希望も、微(カス)かにはあった、昔。名前を知る人も、確かに、居た。落ち着いた佇(タタズ)まいの男だった。だが、忘却が、男の全てを奪い去った。誰一人、もう、男を振り向かない。そんな時代もあった。
ボクたちは、高速道路を西に向かって走っていた。夕闇が、夜のしじまを引き連れて、世界を覆いつくそうと、背後から猛スピードで迫ってくる、そんな焦燥感を、ボクたちは感じていた。砂漠は無かった。憂愁の幻覚?誰かの心象風景?まぼろし、イリュージョンだ。
スラフカ・マネヴァ(Slavka Maneva 1934.2.2.-2010.1.8.)は北マケドニアのスコピエの詩人である。その生涯のほとんどをスコピエで過ごし、哲学と語学研究に一生を費やし、詩集「星のまくら」(1996)を遺(ノコ)した。知る人の少ない、寡名の詩人である。スコピエを知る人も少ない。マケドニアに詳しい人は稀である。マケドニアと言えば、アレクサンドロス大王、ということになる。スコピエはマケドニアの首都である。古代ローマのころには、既に集落があり、軍の野営地にもなっている。スコピエは常に国際都市であった。マネヴァは教訓めいたことは言わない、実直な男だった。子供好きで、児童書も手掛けた。その詩は、暖かく人の心を包んだ。
詩人の魂は、詩人の手を離れ、見知らぬ人々の手に委ねられている。詩人の魂は、弄(モテアソ)ばれ、貶(オトシ)められ、辱(ハズカシ)められ、捨て去られる?そんなことは無い。確かに、それは、小さな人魚の涙、泡沫(ウタカタ)の記憶であり、忘れ時の憐みの涙、であるかもしれないが、心優しい詩人の温もりの結晶、慰めの温もりの結晶なのだから。